章句解説(学而第一)
礼とは、和を調節するもの。 和とは、家族が和やかに楽しむ様子。 家族が和やかに楽しむ、 これこそが孔子が理想とした社会の姿、 すなわち仁なのではないだろうか? (礼、和と仁) 有子曰わく、礼の和を用て貴しと為すは、先王の道も斯を美と為す。小大之…
忠信は真心から人が言うと書く。 誠は言葉が成ると書く。 忠信=誠と解釈しても良いのではないか? すると、この章句は、 次の中庸の章句と合わせて読むべきものとなる。 子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に…
そのまま現代語訳しても、よく分からない。 次の中庸の章句と合わせて読むべきと思う。 子曰わく、父在せば、其の志を観、父没すれば其の行を観る。三年父の道を改むる無きは、孝と言うべし。(学而第一・仮名論語6頁) 孔子先生が言われました。 「父の存…
忠信を主とするのは、君子の大道を得るがためである。 子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。(学而第一・仮名論語4頁) 孔子先生が言われま…
謙虚に学べば、頑固でなくなる。 たとえ頑固であっても、不遜よりは良い。 子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。(学而第一・仮名論語4頁) …
文とは文書すなわち書物のこと。 書物に学ぶのは、 仁を磨くため、君子の道を行うためである。 子曰わく、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば、則ち以て文を学べ。(学而第一・仮名論語3頁) 孔…
「謹」を「慎」として解釈する。 すると、 大学や中庸にある 「君子は独りを慎む」と 合わせて読むことができる。 子曰わく、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば、則ち以て文を学べ。(学而第一・…
「民を使うに時を以てす」とある。 人を使う場合の心得として解釈する。 人を使うには、「慈」「礼」「義」といったものが必要とされる。 「時を以てす」も「慈」「礼」「義」に基づくものと考えられる。 子曰わく、千乗の国を道くに、事を敬して信、用を節…
「人を愛する」は仁である。 人から愛されることよりも 人を愛することの方が尊いのである。 子曰わく、千乗の国を道くに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。(学而第一・仮名論語3頁) 孔子先生が言われました。 「戦車千台(諸侯…
「用を節する」を 支出に減り張りをつける、と解釈する。 そうすると、 夏王朝初代・禹王の人柄を述べた次の章句と合わせて読める。 子曰わく、千乗の国を道くに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。(学而第一・仮名論語3頁) 孔子…
「事を敬する」は 君子や仁の要素でもある。 敬する対象は、 「事」だけでなく、 「人」も含めて解釈するのが良い。 子曰わく、千乗の国を道くに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。(学而第一・仮名論語3頁) 孔子先生が言われま…
「三」は何度も。 「省」は反省だけでなく、 不善を省くと解釈するべきである。 曽子曰わく、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。(学而第一・仮名論語2頁) 曽先生が言いました。 「私は…
巧言令色が必要なときもある。 巧言令色を全否定する趣旨ではないだろう。 文飾と実質のバランスを保つのが論語のテーマの一つ。 巧言令色は文飾の一例。 巧言令色も 実質とバランスがとれていれば、 許されるのではないだろうか? 子曰わく、巧言令色、鮮な…
有子は孔子の教えを代弁し、 曽子は孔子の教えをよく受け継ぎ、 子夏もまた良い言葉を遺し、 子貢は孔子から名言をよく引き出した。 この4人全員の言葉が揃うのは、学而篇のみ。 学而篇には何か総集編的役割があるように思える。 子曰わく、学びて時に之を…
「本」とは この章句にあるように、 孝弟と解釈するのが通常と思う。 だが、大学を受けて 「修身」と解釈しても良いように思う。 このように解釈することで、 「本立ちて道生ず」の「道」を 「君子の道」と解釈しやすくなる。 有子曰わく、其の人と為りや、…
弟が入っているので、 「上」は目上と解釈するのが通常。 だが、 中庸の最終章と関連付けて、 上天すなわち天と解釈することも可能と思う。 その方が深みが増す。 有子曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱…
論語の最初に置かれた章句は、 論語全体を通じて浮かび上がる 孔子先生のお人柄そのものと言われる。 http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/11621779.html また、論語の最初の章句は 論語全体を貫くテーマが凝縮されている。 そのため、小論語とも言われる。 …
君子とは立派な人物のこと。 論語の中で最も登場回数の多い単語である。 君子はどんな人物か?は 論語最大のテーマと言える。 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。…
人からどう思われているか 気にするよりも、 天命・使命を自覚し それを追い求めているかどうかを気にする。 論語を貫くテーマである。 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子な…
お金で買える楽しみは 本当の楽しみではない。 やるからには楽しんでやる。 論語を貫くテーマである。 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。(学而第一・仮名論語1…
朋は肩を並べた様子を表し、 友は手でかばい合う様子を表している。 したがって、朋も友も 仲の良い様子を表している。 いかに忠信の友をもち舗仁するか? 論語を貫くテーマである。 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、…
説はよろこぶ。 悦ではなく説なのは、 心でよろこぶのでは足りず、 人に言いたくなるほどだからかもしれない。 小さなこと、 些細なことでもよろこび、 感動・感謝できるよう、 常に心の新鮮を保つ。 論語を貫くテーマである。 子曰わく、学びて時に之を習う…
「習」の「羽」は雛鳥を表し、 「白」は重ねること→繰り返すことを表す。 したがって、「習」は 雛鳥が羽を何度も動かして 飛ぶことを習得していく様子を表している。 そこから「習」は 実践するという意味も持ってくる。 孔子先生は実践を重んじる。 論語を…
子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。(学而第一・仮名論語1頁) 孔子先生が言われました。 「学んだことを時に応じて実践・習得する。なんと喜ばしいことではない…
学而第一篇最後の章句。 子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。(学而第一・仮名論語10頁) 孔子先生は言われました。 「人に認められないことを心配するのではない。自分が人を認めていないのではないか?と心配するのだ」 た…
たとえ裕福でも たとえ貧しくても 道を楽しむ。 これも論語の中で 何度も繰り返されるテーマである。 子貢曰わく、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。子貢…
「居安きを求むること無し」とある。 「家での安息を求めない」という意味ではないだろう。 子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。(述而第七・仮名論語81頁) 孔子先生が家でおくつろぎのときは、のびのびとされ、にこやかな表情をしておられました。…
信は「人が言う」と書く。 言ったことを実行することで信が生まれるのかもしれない。 だが、言ったことを 何が何でも実行するのは 小人のすること。[参照「言必ず信」は小人(論語、子路第十三⑳)] 君子は「言ったことが義にかなっていれば実行する」ので…
礼の大切さは 何度も繰り返されるテーマ。 次の章句は礼の目的を みんなが和することにある としたものと解釈することができる。 この章句もやはり、 学而第一に相応しいように思う。 有子曰わく、礼の和を用て貴しと為すは、先王の道も斯を美と為す。小大之…
孔子先生が説いたのは仁。 それは孔子先生が 創作したものではなく、 堯・舜・文・武という 古代の聖王たちが実現したものだった。 (述べて作らず) 「先王」とは 堯・舜・文・武であり、 「先王の道」とは 仁の道ではないか?と思うのである。 有子曰わく…