微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

謹みて信(論語、学而第一⑥)

「謹」を「慎」として解釈する。

すると、
大学や中庸にある
「君子は独りを慎む」と
合わせて読むことができる。


子曰わく、弟子、入りては則ち、出でては則ち謹みて信、汎く衆をしてに親しみ、行いて余力あれば、則ち以て文を学べ。(学而第一・仮名論語3頁)
孔子先生が言われました。
「若者よ。家では孝を行い、外では弟(目上に穏やかに従うこと)を行い、慎独を心がけて信用を得、広く人々を敬愛し、仁に志す人に親しむのだ。その上で余力あれば、書物に学ぶことだ」


小人間居して不善を為し、至らざる所無し。君子を見て后厭然として、其の不善を揜いて其の善を著す。人の己を視ること、其の肺肝を見るが如く然り。則ち何の益かあらん。此を中に誠あれば外に形わると言う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。(大学・仮名大学13頁)
小人は暇になると不善を行い、君子の道に至ることは無い。小人が君子を見ると、君子に合わせて不善を隠そうとするが、これは偽善であって、他人からすれば、その心は見透かされているようなもの。何の得にもならない。逆に心の中が誠であれば、それが外に現出する。ゆえに君子は一人でいるときでも、必ずその身を慎んでいるのである


君子は其の暗ざる所に戒慎し、其の聞かざる所に恐懼す。隠れたるより見わるるは莫く、微しきより顕らかなるは莫し。故に君子は其の独りを慎むなり。(中庸第一章・仮名中庸1頁)
君子は誰も見ていなくても常に自分を戒め慎む。誰も聞いていなくても恐れかしこまっている。隠した後で発見されたものほど目立つものは無く、ほんの少しのものほどはっきり表れるものは無い。ゆえに、君子は一人でいるときでも、その身を慎んでいるのである