微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

ご来訪御礼

ご来訪、有難うございます。
 
 
子曰わく、徳は孤ならず。必ず隣有り。(里仁第四・仮名論語46頁)
孔子先生が言われました。
「徳を行う者は決して孤独ではない。必ず仲間がいるのだよ」
 
 
​リアルでは論語の話しなど、とてもできません。
そのため、こうしてこっそりブログにしたためております。
あくまでも私的なメモでございますが、
論語に興味を持って頂ければ嬉しい限りでございます。
 
 
論語の書き下しは、
仮名論語論語普及会発行)に準拠しております。
ただし、漢字はできるだけ簡易なものに変換しております。
現代語訳は、
仮名論語を含め諸先生方や先人たちの偉業を参照し、
原文に忠実に、かつ分かり易いものをと考えております。
大学・中庸も同様でございます。
 

何分ただの論語好きが運営しているブログでございます。
忌憚なきご意見・ご批判等頂ければ幸いでございます。
 
 
論語初心者の方は
こちら↓からお入り頂ければ
分かり易いかも知れません。
  
 
詩に曰わく、錦を衣て絅を尚うと。其の文の著わるるを悪むなり。故に君子の道は、闇然として日に章らかに、小人の道は、的然として日に亡ぶ。君子の道は淡にして厭わず、簡にして文温にして理なり。遠きの近きを知り、風の自るを知り、微の顕なるを知らば与徳に入る可し。(中庸第三十三章・仮名中庸82頁)
詩経には、「錦を着て、その上から絅(薄い麻)を重ねる」という言葉がある。錦の美しさが強調されてしまうのを嫌うからである。ゆえに君子の道は始めはおぼろげでも、だんだん明るくはっきりしてくるものである。これに対し小人の道は、始めは見栄えよくても、だんだん消えて無くなるのである。君子の道は、水のように淡白であるから嫌になることはない。簡単なように見えるが、その中には美しい彩りがあり、穏和でしかも条理に適っている。遠くのものも近いところから積み重なったものであることを知り、風にはそれを起こす内なる力があることを知り、微かなものでもそれが積み重なれば明らかなものになることを知れば、それと共に自らの徳を知ることができるのである。

友とお互い高めあう

舗仁。

仁の磨き合いをするのが本当の友達である。


曽子曰わく、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。(顔淵第十二・仮名論語179頁)
曽先生が言いました。
「君子は、文をもって友と会し、友をもって仁を磨く助けとする


子貢曰わく、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。子貢曰わく、詩に言う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しと。其れ斯を之れ言うか。子曰わく、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。(学而第一・仮名論語9頁)
子貢が言いました。
「貧乏でも人にこびへつらわない人や、裕福でも傲り高ぶらない人はどうでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「まあ良いだろう。しかし、貧しくても道を楽しみ、裕福でも謙虚に礼を好んで行う人には及ばないよ」
子貢がさらに言いました。
詩経には、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如く、(怠ることなく道にはげむ)』とありますが、このようなことを言うのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「賜(子貢)や、お前と初めて詩を語ることができた。一を教えたら、すぐ二を連想するのは、お前だね」

宿命を好きになり、楽しむ

宿命は変えられない。

変えられないのであれば、
宿命を嘆くよりも、
宿命を好きになり、
楽しんだ方が良いに決まっている。


子曰わく、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。(雍也第六・仮名論語74頁)
孔子先生は言われました。
「物事を知っているからと言って取り組む者は、これを好んで取り組む者には到底及ばない。だからといって、それを好んで取り組む者でも、それを楽しんで取り組む者には到底及ばない」