巧言令色が必要なときもある。
巧言令色を全否定する趣旨ではないだろう。
文飾と実質のバランスを保つのが論語のテーマの一つ。
巧言令色は文飾の一例。
巧言令色も
実質とバランスがとれていれば、
許されるのではないだろうか?
孔子先生が言われました。
「口先がうまく、見せかけの良い表情を作る。こういう人には、仁の心は少ないだろう」
子曰わく、質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として然る後に君子なり。(雍也第六・仮名論語74頁)
孔子先生が言われました。
「実質が文飾に勝てば野人のよう。文飾が実質に勝てば記録係のよう。文飾と実質が見事に調和して、はじめて君子と言える」
棘子成曰わく、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。子貢曰わく、惜しいかな、夫子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶質のごとく、質は猶文のごときなり。虎豹の鞹は猶犬羊の鞹のごときなり。(顔淵第十二・仮名論語167頁)
棘子成(衛国の大夫)が言いました。
「君子は実質が充実していれさえすればよい。どうして文飾する必要があろうか?」
子貢が言いました。
「惜しいかな。あなたの君子の説明は。四頭立ての馬車も舌には及びません(失言の訂正は容易ではありません)。文飾は実質のようであり、実質は文飾のようであり、決して別物ではありあせん。虎や豹の皮が高いのは、虎や豹の毛が付いているからです。もし虎や豹の皮に虎や豹の毛が付いていなければ、犬や羊の皮と同じような物になってしまいます」