微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

忠信は誠と解釈する(論語、学而第一⑧)

忠信は真心から人が言うと書く。

誠は言葉が成ると書く。

忠信=誠と解釈しても良いのではないか?

すると、この章句は、
次の中庸の章句と合わせて読むべきものとなる。


子曰わく、
君子、重からざれば則ち威あらず学べば則ち固ならず忠信を主とし己に如かざる者を友とする無かれ過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。(学而第一・仮名論語4頁)
孔子先生が言われました。
「君子は、(発言や行動を)重々しくしないと威厳がなくなる。謙虚に学べば頑固でなくなる。忠信を第一とし、
自分と同じように忠信を第一としていない者を友としてはならない。そして自分に過誤があれば、改めるのに遠慮してはならない」


身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、身に誠ならず。
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中り、思わずして得、従容として道に中るは聖人なり。之を誠にするは、善を択びて固く之を執る者なり。(中庸第二十章・仮名中庸48頁)

自分の身を誠にするにも道がある。善に明らかでなければ、自分の身は誠にならない。
誠は天の道である。これに学んで自分を誠にするのが、人の道である。本当に誠の人は、特に勉強しなくても誠の道にあたり、特に考えなくても誠の道を得、ゆったりとしていても誠の道にあたる。このような人は聖人である。聖人でない私たちが誠となるためには、善を選んで固くそれを守るのである。


忠信を主とするは、君子の大道を得るためである