微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

上を犯す(論語、学而第一②)

弟が入っているので、
「上」は目上と解釈するのが通常。

だが、
中庸の最終章と関連付けて、
上天すなわち天と解釈することも可能と思う。

その方が深みが増す。


有子曰わく、其の人と為りや、弟にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か。(学而第一・仮名論語1頁)
有先生が言いました。
「人柄が孝弟な者に、上天の法理を犯すことを好むような者は少ない。上天の法理を犯すことを好まない者で、世の中を乱すことを好む者はいない。君子は本を大事にする。本が確立すれば道が開ける。孝弟は仁を行う本であろうか?」


詩に云わく、徳の軽きこと毛の如し、と。毛は猶倫有り。上天の戴は声も無く臭も無し。至れり。(中庸第三十三章・仮名中庸85頁)
詩経には、「徳は軽い。その軽さは毛のようなもの」という言葉がある。とはいえ、毛にも重さがあって確かに存在するように、徳もまた確かに存在するのである。また詩経には、「天には声も無く臭いも無い」とある。天は声も無く臭いも無いが、確かに存在するのである。終わり。