孔子先生は
「三十にして立ち」と言われた。
孔子先生が言われました。
「私は15歳の頃、学問に志した(志学)。30歳で自立し(而立)、40歳で惑わなくなった(不惑)。50歳で天命を知り(知命)、60歳で素直に聞こえるようになり(耳順)、70歳で心の欲する所に従っても道を外すようなことは無くなった(従心)」
「立つ」とは
修身や礼と共に使われている。
孔子先生は30歳で身を修め、
礼を身につけた
と解釈するべきなのかもしれない。
有子曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か。(学而第一②・仮名論語1頁)
有先生が言いました。
「人柄が孝弟な者に、上天の法理を犯すことを好むような者は少ない。上天の法理を犯すことを好まない者で、世の中を乱すことを好む者はいない。君子は本(修身)を大事にする。本が確立すれば道が開ける。孝弟は仁を行う本であろうか?」
有先生が言いました。
「人柄が孝弟な者に、上天の法理を犯すことを好むような者は少ない。上天の法理を犯すことを好まない者で、世の中を乱すことを好む者はいない。君子は本(修身)を大事にする。本が確立すれば道が開ける。孝弟は仁を行う本であろうか?」