微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

君子は本を務む、本立ちて道生ず(論語、学而第一②)

「本」とは
この章句にあるように、
孝弟と解釈するのが通常と思う。

だが、大学を受けて
「修身」と解釈しても良いように思う。

このように解釈することで、
「本立ちて道生ず」の「道」を
「君子の道」と解釈しやすくなる。


有子曰わく、其の人と為りや、にしてを犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れを為すの本か。(学而第一②・仮名論語1頁)
有先生が言いました。
「人柄が孝弟な者に、上天の法理を犯すことを好むような者は少ない。上天の法理を犯すことを好まない者で、世の中を乱すことを好む者はいない。君子は本(修身)を大事にする。本が確立すれば道が開ける。孝弟は仁を行う本であろうか?」


天子より以て庶人に至るまで、壹に是皆身を修むるを以て本と為す
其の本乱れて末治まる者は否ず。其の厚くする所の者を薄くして、其の薄くする所の者を厚くするは、未だ之れ有らざるなり。(大学・仮名大学4・5頁)
天子から一般庶民まで皆、自分の身を修めることが「本」である。
その「本」が乱れて、「末」が治まる者はいない。
その厚くすべき「本」を薄くしておきながら、その薄くすべき「末」を厚くしようとする者は、長く存在する者ではない。



子游曰わく、子夏の門人小子、洒掃応対進退に当たりては則ち可なり。抑末なり。之に本づくれば則ち無し。之を如何。子夏之を聞きて曰わく、噫、言游過てり。君子の道は孰れをか先に伝え、孰れをか後に倦まん。諸を草木の区して以て別つに譬う。君子の道は焉んぞ誣うべけんや。始有り卒有る者は、其れ唯聖人か。(子張第十九・仮名論語296頁)
子游が言いました。
「子夏の弟子たちは、掃除や応対、進退については結構だが、そういったものは枝葉末節だ。根本的な部分は何も無い。これで良いのだろうか?」
子夏がこれを聞いて言いました。
「ああ子游は間違っている。君子の道を伝えるのに順序は無い。草木も種類によって育て方が違うように、伝える順序も人によって違って良いのだ。君子の道を個性を無視して押しつけるように伝えても良いのだろうか?君子の道の始めも終わりもある者は、ただ聖人だけだろう」