微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

孝(論語、学而第一②)

「教」という漢字には「孝」が入っている。

漢字が作られた大昔、
教えるといえば孝だったからだろう。

孝が人間を動物と分けるものと
考えられていたからかもしれない。

「孝」とは何か?

これも何度も繰り返される論語のテーマの一つである。


有子曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か。(学而第一・仮名論語1頁)
有先生が言いました。
「人柄が孝弟な者に、上天の道を犯す
ことを好むような者は少ない。上天の道を犯すことを好まない者で、世の中を乱すことを好む者はいない。君子は本を大事にする。本が確立すれば道が開ける。孝弟は仁を行う本であろうか?」


孟武伯、考を問う。子曰わく、父母は唯其の疾を之れ憂う。(為政第二・仮名論語14頁)
孟武伯が「孝」について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「父母はただ、子の病を心配するものです」


子游、孝を問う。子曰わく、今の孝は是れ能く養うを言う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば何を以て別たんや。(為政第二・仮名論語14頁)
子游が孝について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「今では親に衣食の不自由をさせないことを孝というらしい。だが、そうであれば犬や馬などでも皆よく養えるではないか。敬の心がなければ、どうやって犬や馬を養うことと区別するのだろうか?」


子曰わく、父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。(里仁第四・仮名論語44頁)
孔子先生が言われました。
「父母の存命中は、遠くへ旅に出ないことだ。やむを得ず遠くへ旅するときは、父母に余計な心配をかけないよう、心がけることだ」
 
 
子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。(里仁第四・仮名論語45頁)
孔子先生が言われました。
「父母の年齢は、忘れてはならない。父母の長生きを喜ぶことができるし、先の短いことを心配することができるからだ」