微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

子供の名付け

第一子も今回の第二子も
響き・読みは妻が考え、
私は漢字を考えた。

妻は流行を大事にしたようだ。
おかげで今風な響き・読みとなった。

私は漢字を論語の中から選んだ。
仁道を歩んでほしいという願いを込めて。

私も妻も
子供たちに良いプレゼントができたと自負している。

いつの日か子供たちが
自分の名前に誇りを持ってくれたら嬉しい。


樊遅、仁を問う。子曰わく、人を愛す。知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅、退いて子夏に見えて曰わく、嚮に吾夫子に見えて知を問う。子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむと。何の言いぞや。子夏曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち、衆に選びて皐陶を挙げ、不仁の者遠ざかる。湯、天下を有ち衆に選びて伊尹を挙げ、不仁の者遠ざかる。(顔淵第十二・仮名論語177頁)
樊遅が「仁」について尋ねました。
孔子先生が言われました。
「人を愛することだよ」
樊遅はさらに「知」について尋ねました。
孔子先生が言われました。
「人を知ることだよ」
樊遅は未だ理解に達しない様子でした。
そこで、孔子先生が言われました。
「(天命に)真っ直ぐな者を取り立てて曲がった者の上におけば、曲がった者も真っ直ぐにすることができるのだよ」
樊遅は退出して、今度は子夏に尋ねました。
「先程私は先生に『知』について尋ねました。先生は『真っ直ぐな者を取り立てて曲がった者の上におけば、曲がった者も真っ直ぐにすることができる』と仰いました。どういうことでしょうか?」
子夏が言いました。
「何と豊かな言葉だろう。舜(古代の伝説上の聖天子)は天下を治めるのに、民衆の中から皐陶という人物を取り立てた。すると、不仁の者は自らその姿を潜めた。また、湯王(殷王朝の初代)は天下を治めるのに、民衆の中から伊尹という人物を取り立てた。すると、不仁の者は自らその姿を潜めた」


子夏問うて曰わく、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは、何の言いぞや。子曰わく、絵の事は素きを後にす。曰わく、礼は後か。子曰わく、予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ。(八佾第三・仮名論語26頁)
子夏が尋ねました。
「『笑えば笑窪が愛くるしく、眼はぱっちりと澄んで、お白粉で化粧をする』という詩がありますが、何か深い意味があるのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「絵の描き方のことだろう。最後は白の絵具で仕上げるということだよ」
子夏はさらに尋ねました。
「では、人間で言えば、最後の仕上げは『礼』ということになりましょうか?」
孔子先生が言われました。
「私の気づかなかった事を教えてくれたのは商(子夏)、お前だね。はじめて詩を語り合えるようになったね」