微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

下問を恥じず(論語、公冶長第五⑮)

上司が部下にものを尋ねるのに、
恥じる必要は無いと解釈できる。

だが無条件に恥じる必要が無いのではない。

孔文子がこれをできたのは
行動が俊敏で謙虚に学ぶことを好んだからであろう。

行動が俊敏で謙虚に学ぶ人格を
形成していたからこそ、
部下にものを尋ねるのに恥じ入る必要が無いのである。


子貢曰わく、孔文子は何を以て之を文と言うや。子曰わく、敏にして学を好み、下問を恥じず、是を以て之を文と言うなり。(公冶長第五・仮名論語56頁)
子貢が尋ねました。
「孔文子(衛国の大夫)は、なぜ『文』(文徳ある人につけられた)という諡(おくりな・亡くなった人の功績を称えてつけるもの)が与えられたのでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「行動が俊敏で学ぶことを好み、目下の人にも尋ねることを恥じなかった。そこで文と諡されたのだよ」