論語と日本
70年前終わった戦争は、 真珠湾攻撃から 始まったのではなく、 満州事変から始まった。 満州事変以降、 日本軍は 中国義勇兵によるテロと戦っていた。 盧溝橋事件以降は 中国軍と全面衝突(支那事変・日中戦争)するようになった。 やがてアメリカは 日本が…
グアム→パラオ→フィリピン→硫黄島→日本本土への大空襲→沖縄での地上戦→広島・長崎への原爆投下 このように、 70年前の戦争によって 犠牲となった方々の大多数は サイパン陥落後であった。 サイパン陥落は 日本本土がB29による爆撃射程圏に入ることを意味した…
日本人の宗教観は 信仰するより畏敬すると言われている。 次の和歌によく表れている。 心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らん 菅原道真 何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙がこぼるる 西行法師 論語には次のようにある。 樊遅、知…
再来年(2016年)は 徳川家康が没して400年。 徳川家康の遺訓 「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず」。 この遺訓は次の論語をもとにしていると言われる。 曽子曰わく、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て…
教育勅語には 「国体の精華」という言葉がある。 天皇陛下を父とし、 皇后陛下を母とする一つの大きな家族。 これがきっと「国体」なのだと思う。 詩に云わく、楽只の君子は民の父母と。民の好む所之を好み、民の悪む所之を悪む。此を之れ民の父母と言う。(…
日本人が昔から有する 恥の文化を大切にしたいのだ。 子曰わく、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥ずる有りて且つ格し。(為政第二・仮名論語11頁) 孔子…
今日は西郷隆盛の命日。 戊辰戦争で東北諸藩とともに 新政府軍と戦った庄内藩。 降伏後、 厳しい処分が下されると 藩内の誰もが予想したが、 宿敵のはずの西郷は 寛大な措置を指示し、 軽い処分にとどまった。 感動した元藩士は、 鹿児島に西郷を訪ねた。 寝…
先の大戦を 防ぐことができなかったのは 戦前の統治システムに欠陥があったためだろう。 内閣総理大臣と 陸軍大臣・海軍大臣は同列だった。 そのため軍は その意向に反する内閣を倒すことが可能であった。 軍が政治をコントロールしていたと言える。 この反…
100年前の今月28日、 第一次大戦が開戦した。 日本は日英同盟に基づき対独参戦した。 ところが、 独のアジア拠点を攻略したのみ。 欧州へは海軍の巡洋艦1隻・駆逐艦8隻を派遣するに止めた。 同盟国・英国からの再三の陸軍派遣要請には応じなかった。 …
昨日、 天皇皇后両陛下が伊勢神宮を参拝された。 歴代天皇に受け継がれる「三種の神器」のうち 剣と璽(じ=まがたま)を2人の侍従がそれぞれ黒いケースに入れて運んだ。 剣璽が皇居の外に出るのは 前回の式年遷宮後の参拝以来20年ぶりという。 三種の神…
本日(9月6日)、 秋篠宮悠仁親王殿下が誕生日を迎えられました。 心よりお慶び申し上げます。 この日を記念しまして、 悠仁さまのお名前について 書かせて頂きたいと思います。 悠仁さまのお名前は 次の中庸の言葉に由来すると思われます。 故に至誠は息…
マッカーサーは、その回想記に 昭和天皇との会見の模様を次のように記している。 「タバコに火をつけて差し上げたとき、私は天皇の手が震えているのに気がついた。天皇の語った言葉は、次のようなものだった」。 天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたっ…
(前回「礼」は「仁」の形からの続き) (前回「君子はどんな人か?」からの続き) 論語の伝来は、 応神天皇の時代とされる(日本書紀・古事記)。 当時の日本人は、 たちまちに論語を理解したものと思われる。 仁が人(ひと)と訓読みされているからである…
明治18年(1885年)の今日(3月16日)、 時事新報という当時の新聞に脱亜論が発表された。 執筆者は福沢諭吉とされる。 (ウィキペディアより) この脱亜論の中に次のような一文がある。 『我日本ノ國土ハ亞細亞ノ東邊ニ在リト雖ドモ其國民ノ精神ハ…
今日(12月1日)、 敬宮愛子内親王殿下(愛子さま)は11歳の誕生日を迎えられました。 心よりお慶び申し上げます。 今日の日を記念して、 愛子さまのお名前と論語との関係について書かせて頂きます。 愛子さまのお名前は、 次の論語の言葉に由来すると言わ…
122年前(明治23年・1890年)の今日(10月30日)、 教育勅語(教育ニ関スル勅語)が渙発されました。 教育勅語が渙発されたのには、 次のような経緯があったといいます。 『明治19年、明治天皇は設立されたばかりの東京帝国大学を視察され、 非常に進んだ教…
次の章句のように、 天皇陛下が直接政治に携わられることはありません。 (関連記事http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/5509489.html) 子曰わく、巍巍(ぎぎ)乎(こ)たり。舜(しゅん)・禹(う)の天下を有(たも)てるや。而(しこう)して與(あずか…
マッカーサーが時の首相・吉田茂に質問した。 「明治の将軍たちに比べて、昭和の将軍の品格がお粗末に見えるのはなぜか。」 マッカーサーの父親は、日露戦争の時の駐日観戦武官。 少年マッカーサーは父親に招かれて日本に来ていた。 その時に会った将軍や提…
5月20日の話になりますが、 天皇皇后両陛下が英国訪問から帰国されました。 その日の日本経済新聞朝刊にはこんな記事がありました。 『 当初は戦勝国と敗戦国の関係が色濃くにじみ、英側には冷たい反応もあったと陛下自身、出発前に振り返られた。それでも訪…
聖徳太子が発布した十七条の憲法。 そこには、「和を以て貴しと為す」という言葉があります。 これは、論語に由来しています。 有子曰わく、礼の和を用(もっ)て貴(たっと)しと為すは、先王の道も斯(これ)を美と為す。小大(しょうだい)之に由れば、行…
「見ざる、言わざる、聞かざる」は 日光東照宮の三猿で有名。 論語に由来すると思われる。 顔淵仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰わく、請う、其…
旧5千円札の肖像画でおなじみの新渡戸稲造は、 その著書『武士道』の中で次のように書いている(要約)。 『 あるベルギーの法学者から「あなた方の国には宗教教育がないのですか。それでは、どのように子孫に道徳教育を授けるのですか。」と尋ねられ、私は…