微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

聖徳太子と論語

聖徳太子が発布した十七条の憲法
そこには、「和を以て貴しと為す」という言葉があります。
これは、論語に由来しています。
 
有子曰わく、礼の和を用(もっ)て貴(たっと)しと為すは、先王の道も斯(これ)を美と為す。小大(しょうだい)之に由れば、行われざる所あり。和を知りて和すれども礼を以て之を節せざれば、亦(また)行うべからざるなり。(学而第一・仮名論語7頁)
有先生が言われました。
礼において和を貴いとするのは、私一人の考えではない。昔の聖王の道もそれを美しいことと考えた。だからといって、和だけですべての人間関係を行おうとすると、うまく行かないことがある。和の貴いことを知って、和しても礼(敬謝謙譲等の心)を以て調節しないと、うまく行かないのである。」
 
 
聖徳太子に関連する論語をもう一つ。
聖徳太子は一度に十人もの話しを一度に聞き分けた、という伝説があります。
論語には、この伝説に似たようなこの章句があります。
 
子、子貢に言いて曰わく、女(なんじ)と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対(こた)えて曰わく、賜(し)や何ぞ敢(あえ)て回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る。子曰わく、如かざるなり。吾と女と如かざるなり。(公冶長第五・仮名論語52頁)
孔子先生が、子貢に話しかけられました。
「お前と顔回とどちらが優れていると思うかね。」
子貢が答えました。
「私はどうして顔回と肩を並べることができましょうか。顔回は一を聞いて十(全体)を知りますが、私はせいぜい二を知る程度でございます。」
孔子先生が言われました。
顔回には及ばないねえ。実は私もお前と同じように及ばないと思っているよ。」

 
この二つの論語の章句から、
聖徳太子の時代にはもう、論語が日本に溶け込んでいたことが分かります。