微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

大日本帝国は長く存在できなかった

マッカーサーが時の首相・吉田茂に質問した。

「明治の将軍たちに比べて、昭和の将軍の品格がお粗末に見えるのはなぜか。」

 
マッカーサーの父親は、日露戦争の時の駐日観戦武官。
少年マッカーサーは父親に招かれて日本に来ていた。
その時に会った将軍や提督は風格があり人物的にも大きく、
後に占領政策で日本を訪れたときに会った将軍とは段違いだったと彼は感じていた。
 

上の質問に吉田は答えることができなかった。
そこで、哲学者・和辻哲郎にその質問をぶつけた。
 
和辻は、静かに考えてこう言った。
 
「明治の将軍や提督は伝統的な修己治人の学を修め、維新や西南戦争などの実践の修羅場を踏んで鍛えられていた。ところが、大東亜戦争の時のそれは陸軍大学や海軍大学を出たエリート中のエリートで、欧米の軍事技術には堪能であっても、修己治人の学が弱かったのではないか」と。

(以上は致知7月号59・60頁に載っていたお話を要約)
 
 
 
修己治人の学とは、大学のこと。

大学は、大人(たいじん)になるための学問の略。
人なら誰でも天から与えられている徳(明徳・立派な本性)がある。
大人は、その徳を発揮して世のため人のために役立てようとする人のことを言う。
 
大学は、徳を発揮して世のため人のために役立てるには、
身を修めることが基本だと言っている。
 

(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、(中略)(ま)ず其(そ)の身を修む。(仮名大学2頁)
(中略
天子自(よ)り以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是(こ)れ皆身を修むるを以て本と為す。
(仮名大学4頁)
昔、天から与えられた徳性を発揮して、それを広く世のため人のために役立てようとした人は、その身を修めた。
天子から庶民まで人は皆、自分の身を修めることが基本である。
 
 

マッカーサーが疑問を抱き、和辻哲郎が指摘したように、
昭和の軍人エリートは、明治の将軍・提督と違って、
修己治人の学(大学)を修めていなかったのだろう。
 

大日本帝国の不幸は、
内閣総理大臣陸軍大臣海軍大臣を任命・罷免する権能がなく、
修己治人の学(大学)が欠ける
軍人エリートたちによる
政治介入を許してしまったことにあった。
明治憲法上、統帥権を補弼する機関が不明確であったためだ。
 
 

ちなみに、
上の大学の言葉の後には、こんな言葉が続いている。
 

其の本乱れて末治まる者は否(あら)ず。
其の厚くする所の者を薄くして、其の薄くする所の者を厚くするは、未だ之れ有らざるなり。(仮名大学4・5頁)
その基本となる「身を修めること」が乱れて、末となる「広く世のため人のために役立つ」者はいない。
その厚くすべき基本を薄くしておきながら、その薄くすべき末を厚くしようとする者は、長く存在する者にはなりえない。
 
 

日露戦争終戦は、1905年。
軍の政治介入の発端となったロンドン海軍軍縮条約は、1930年。
大東亜戦争終戦は、1945年。
 

修己治人の学を疎かにした軍人エリートたちが政治に介入したおかげで、
大日本帝国はまさに、
未だ之れ有らざるなり(長く存在する者になりえない)」を
実証してしまったのかも知れない。