微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

幼稚園がこども園に移行しないのは

幼児教育と保育園の機能を併せ持った
認定こども園」という新しい施設ができる。
 
都市部では慢性的に保育園が不足している反面、
幼稚園では定員割れが多いことに目をつけたようだ。
 
 
子、衛に適(ゆ)く、冉有(ぜんゆう)(ぼく)たり。子曰わく、庶(おお)きかな。冉有曰わく、既に庶(おお)し。又何をか加えん。曰わく、之を富まさん。曰わく、既に富めり。又何をか加えん。曰わく、之を教えん。(子路第十三・仮名論語186頁)
孔子先生が衛の国へ行かれたとき、弟子の冉有が、お供をしていました。
先生が言われました。「人口が多いね。」
冉有がこれを聞いて尋ねました。
「おっしゃるように人口が多いです。この国でもし先生が政治をなさるなら、何をなさいますか。」
先生が答えられました。「民を豊かにしてやりたいよ。」
冉有は更に尋ねました。「豊かになった後は、何をなさいますか。」
先生が答えられました。「道徳を教えようと思う。」
 

幼稚園が保育園の機能を持てば、仕事と子育てを両立できる人が増え、
人口減少に歯止めがかかり、経済も活性化すると期待できる。
 

一見素晴らしい制度のように思えるが、
こども園へ移行するのに慎重になっている幼稚園が多いようである。
 
 
『映画「男はつらいよ」シリーズで有名な柴又帝釈天付属の園・ルンビニー幼稚園では、食事前に必ず園児が唱和する言葉がある。
「一粒のお米も一滴の水も、みんな仏さまのお恵みです。仏さまありがとう。お父さまお母さまありがとう。いただきます」という言葉である。
この幼稚園では、日蓮宗の教えを教育に取り入れており「飼っている虫が死んだら、園児はアイスクリームのスプーンを卒塔婆にした墓を作り、手を合わせている」(早崎淳晃園長)という。
このような教育は、こども園になると制限されるという。
「保育は市町村が主体となって園に委託しているもの。そのため、政教分離の問題がある」というのがその理由らしい。』
(7月24日日本経済新聞夕刊を一部要約)
 
 
私は極端な言い方だが、
宗教は子どもに道徳を授けるためのものと考えている。
(関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/5829550.html
新渡戸稲造(旧五千円札の肖像)も、
ベルギーの法学者から言われた次のような言葉が
「武士道」を著す契機になったと言っている。

『あなた方の国には宗教教育がないのですか。それでは、どのように子孫に道徳教育を授けるのですか。』(「武士道」の序文より)(関連記事http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/166173.html
 

政教分離は、信教の自由を守るための制度に過ぎない。
宗教教育を行うこども園に入園させるかどうかは、父母が決めれば良いはずで、
父母の信教の自由を侵害することにはならない。
お役所がとやかく言う問題ではない。
 
お役所が宗教に対してこんな態度だから、
道徳が崩壊したような信じられない事件が頻発するのではないかと思えてならない。
 

子曰わく、誰か能(よ)く出ずるに戸に由(よ)らざらん。何ぞ斯(こ)の道に由ること莫(な)きや。(雍也第六・仮名論語73頁)
孔子先生が言われました。
「家を出るのに戸口を通らないような人は、誰かいるだろうか。それなのにどうして人は、人として最も大切な道を通ろうとしないのだろうか。」