大学は、論語の前に読むべきものとされていたようです(漢字源で「四書」を引くと出てきます)。
大学は、孔子の愛弟子・曽子が作ったと言われています。
ではなぜ、
論語は、一つ一つの章句が短く抽象的です。
そのため、身勝手な・意地の悪い解釈も可能なことは可能です。
実際、そういう本も出版されてしまっています。
興味本位で立ち読みしましたが、気分が悪くなって吐き気を催しました。
そのため、身勝手な・意地の悪い解釈も可能なことは可能です。
実際、そういう本も出版されてしまっています。
興味本位で立ち読みしましたが、気分が悪くなって吐き気を催しました。
大学とは、大人(たいじん)になるための学問の略です。
大学は、人間なら誰でも生まれながら与えられている徳(明徳)があると考えています。
大人は、その徳を発揮して、世のため人のために役立てようとする人のことを言いいます。
大学は、人間なら誰でも生まれながら与えられている徳(明徳)があると考えています。
大人は、その徳を発揮して、世のため人のために役立てようとする人のことを言いいます。
この明徳を発揮するには、
自分の身を修めることが根本であると、大学は考えています。
古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、(中略)先(ま)ず其(そ)の身を修む。(仮名大学2頁)
(中略)
天子自(よ)り以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是(こ)れ皆身を修むるを以て本と為す。(仮名大学4頁)
昔、明徳を広く世のため人のために発揮しようとした人は、まず自分の身を正しくした。
天子から一般庶民まで、皆、自分の身を正しくすることが根本である。
論語が大学の後に読むべきものとされていた以上、
論語は、大学の考え方を反映して、
日々自分の身を修め、世のため人のために尽くすという観点から解釈されるべきです。
自分に与えられた徳を磨き、世のため人のためにその徳を活かすという観点から解釈されるべきです。
論語にもこんな章句があります。
大学の道から外れた論語の解釈は、害があるだけです。
大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善(しぜん)に止(とど)まるに在り。
止まるを知りて后(のち)定まる有り。定まりて后能(よ)く静かなり。静かにして后能く安し。安くして后能く慮(おもんばか)る。慮りて后能く得(う)。
物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則(すなわ)ち道に近し。(仮名大学1・2頁)
立派な大人となるための学問の道は、明徳(生まれながら与えられている徳)を世のために人のために発揮するところにある。広く多くの人と相親しむところにある。至善(最高の善→一つの善)に止まる(一に止まる=一+止=正)ところにある。
「至善に止まるところ」が分かってくると、心が定まって安定してくる。心が安定すると、心が静かになる。心が静かになると、心が安らかになってくる。心が安らかになると、思いをめぐらすことができるようになる。そうすると、自ら納得した行動ができるようになる。
このように、物事には必ず本と末、終りと始まりがあり、その先後するところを知って行動できるようになれば、大学の道に大きく外れることはない。