『明治19年、明治天皇は設立されたばかりの東京帝国大学を視察され、
非常に進んだ教育の在り方に感心をされながらも、
「身を修める」つまり修身科の無いことに懸念を示されました。
そして、文部大臣や総理大臣にこれを諮られましたが、実現されることはありませんでした。
そこで、明治天皇は、法律ではなく、勅語という形をとって「教育勅語」を渙発されたのでした。』
「修身」とは、
大学に由来する言葉です。
天子より以(もっ)て庶人(しょじん)に至るまで、壹(いつ)に是(これ)皆(みな)身を修むるを以て本(もと)と為す。(仮名大学4頁)
天子から一般庶民まで皆、自分の身を修めることが「本」となる。
この大学の言葉にあるように、
身を修めることは、天子から一般の庶民まで全ての人の基本となるものなのです。
朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト俱(とも)ニ挙々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳ヲ一ニセンコトヲ庶(こい)幾(ねが)フ