微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

みんなから好かれる必要は無い

前回(http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/7618220.html)からの続きです。
 
前回、前々回(http://blogs.yahoo.co.jp/rihito141/7555859.html)と、
嫌われないことをテーマに書いてきました。

しかし、
論語には、嫌われてしまっても良い場合が書いてあります。
 

子貢問うて曰わく、郷人(きょうじん)皆之を好(よみ)せば如何(いかん)。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人皆之を悪(にく)まば如何。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者は之を好し、其(そ)の善からざる者は之を悪むに如かざるなり。(子路第十三・仮名論語196頁)
弟子の子貢が尋ねました。
「村の人の誰からも好かれるような人は、立派な人でしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「まだまだだろうねぇ。」
子貢がさらに尋ねました。
「では、村の人の誰からも憎まれているような人は悪人でしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「まだ悪人とは決められないねぇ。村人の善い人からは好かれ、善くない人からは憎まれるような人には及ばないよ。」

 
善くないことを言う人や、善くないことをする人からは、
嫌われてしまった方が健全ということです。
 
誰からも好かれようなんて考える必要など、
全く無いのです。