微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

よく和する令和

令には、
よいという意味があるので、
令和とは、よく和するという意味に解釈できる。

よく和するとはすなわち、
和を礼で調節することを説いた
次の論語の章句で表されている。


有子曰わく、礼の和を用て貴しと為すは、先王の道も斯を美と為す。小大之に由れば、行われざる所あり。和を知りて和すれども礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。(学而第一・仮名論語7頁)
有先生が言いました。
「礼において和を貴いとするのは、私一人の考えではない。古代の聖王たちもそれを美しいことと考えた。だからといって和だけに頼ると、うまく行かないことがある。和の貴いことを知って、和しても礼をもって調節しないと、うまく行かないのである」


礼、和と仁

一人ひとりの個性を認め

一人ひとりの個性を認め、
良いところは伸ばし、
悪いところは抑える。


子曰わく、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。(顔淵第十二・仮名論語172頁)
孔子先生が言われました。
「君子は、人の美点(長所)を成就させ、人の悪い所(短所)は抑えようとする。小人は、これとは反対のことをする」


子路問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。子曰わく、父兄の在すこと有り、之を如何ぞ、其れ聞くままに斯れ諸を行わんや。冉有問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。子曰わく、聞くままに斯れ諸を行え。公西華曰わく、由や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子曰わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子曰わく、聞くままに斯れ諸を行えと。赤や惑う。敢えて問う。子曰わく、求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く。(先進第十一・仮名論語151頁)
子路が質問しました。
「先生が教えて下さったことをすぐにでも行動に移したいと思いますが、いかがでしょうか?」
これに対し孔子先生は答えられました。
「父兄がおられるではないか。よく考えてから行動しなさい」
冉有が質問しました。
孔子先生は「すぐに行動しなさい」と答えられました。
公西華が質問しました。
「先生は、由(子路)が質問した際には、『よく考えてから行動しなさい』とおっしゃいました。しかし、求(冉有)が同じ質問をした際には、『すぐに行動しなさい』とおっしゃいました。私には、先生の真意がわかりません。どうかお教え下さい」
孔子先生は、答えられました。
「求は引っ込み思案だからね、励ましてやろうと思ったのだよ。由は出過ぎる癖があるからね、抑えようと思ったのだよ」

保育園 父母会会長の式辞

第一子長男の通う保育園から
2018年度父母会会長を仰せつかっている。

卒園式では式辞を述べる機会を頂いた。

子供の成長の喜び、
園や先生方への感謝など
言いたいことは沢山だが、
次の章句を主題として話すことに決めた。


孟武伯、考を問う。子曰わく、父母は唯其の疾を之れ憂う。(為政第二・仮名論語14頁)
孟武伯が「孝」について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「父母はただ、子の病を心配するものです」


元気で明るく育ってくれて有難う、と言おうと思う。

孝には親が子を抱く意味もある

孝という漢字は、
子が老(親)を背負うだけでなく、
老(親)が子を抱くことも示している。

江戸後期から明治初期の我が国は、
欧米人から「子供の楽園」と評されていた(「逝きし世の面影」より)。

もっと子供を大事にする社会に戻って良いのだと思う。


顔淵死す。顔路、子の車以て之が椁を為らんことを請う。子曰わく、才あるも才あらざるも、亦各々其の子と言うなり。鯉や死す、棺有りて椁無し。吾徒行して以て之が椁を為らざりしは、吾が大夫の後に従えるを以て、徒行すべからざるなり。(先進第十一・仮名論語143頁)
顔淵が亡くなりました。父・顔路は孔子先生の車を売って椁(外棺)を造りたいとお願いしました。
孔子先生が言われました。
「才が有っても才が無くても、我が子の可愛さはみな同じ。鯉(孔子先生の長男)が死んだ時、棺があって椁は無かった。私が椁を造らなかったのは、私が大夫の末席にあるため、徒歩で行ってはならなかったからだ」


詩に云わく、穆穆たる文王、於緝煕にして敬止すと。人君と為りては仁に止まり、人臣と為りては敬に止まり、人子と為りては孝に止まり、人父と為りては慈に止まり、国人と交わりては信に止まる。(大学・仮名大学8頁)
詩経には、「深遠な風格ある文王は、ああ、いつも明るく親しみやすく、それでいて常に心に敬をもっていた」という言葉がある。
文王のように、君主となれば常に心に仁を、臣下となれば常に心に敬を、子となれば常に心に孝を、父となれば常に心に慈を、国人と交わる際には常に心に信をもつのである。

温故知新の意味

温故知新、
特に知新を「新たな知見を得る」と解釈するのには賛成しない。

現代でも通用する真理を知ると解釈するべきと思う。

真理とは新理であって、
いつの時代でも古びることなく真新しい。

リーダーとなるに相応しいのは、
その真理(新理)を知る人物であるべきだからである。


子曰わく、故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし。(為政第二・仮名論語16頁)
孔子先生は言われました。
「昔の物事を研究・吟味する。その中に現代に通用する新理(真理)があることを知る。それを知れる人物こそ、指導者となるに相応しい」


知仁勇の三の者は天下の達徳なり。之を行う所以の者は一なり。(中庸第二十章・仮名中庸38頁)
知・仁・勇の三つは、古今東西いつの時代もどこの場所でも通達(通用)する徳である。この三徳を行う基盤は一(誠)である。

人の過や、各々其の党に於てす(論語、里仁第四⑦)

分かり易く言えば、
悪い友達と付き合うな、
ということだろう。


子曰わく、人の過や、各々其の党に於てす。過を観て斯に仁を知る。(里仁第四・仮名論語40頁)
孔子先生が言われました。
人の過ちは、その人の仲間内から生じるもの。過ちを観察して、その人が仁に志す者か否か知るのである」


子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず学べば則ち固ならず忠信を主とし己に如かざる者を友とする無かれ過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。(学而第一・仮名論語4頁)
孔子先生が言われました。
「君子は、(発言や行動を)重々しくしないと威厳がなくなる。謙虚に学べば頑固でなくなる。忠信を第一とし、自分と同じように忠信を第一としていない者を友としてはならないそして自分に過誤があれば、改めるのに遠慮してはならない」

儒の原字は濡

霧の中を歩けば
自然に衣が湿るように
本当の教えというものは
気づかないうちに沁み渡るのである。


子、子夏に言いて曰わく、女、君子の儒と為れ、小人の儒と為る無かれ。(雍也第六・仮名論語72頁)
孔子先生が子夏に言われました。
「お前は君子の学者となりなさい。小人の学者となってはならないよ」