微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

不平・不満・陰口を言わないようにするには

『「常に不平を抱き、不満を持って、何か陰口を叩いたり、
 やけのようなことをいって、その日その日をいかにも雑然、
 漫然と暮らすということは、人間として一種の自殺行為です。
 社会にとっても非常に有害です。毒であります」
 
では、どういう生き方をすればよいのか。
 
「いかにすればいつまでも進歩向上していくことができるのか。
 第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。
 純一無雑の工夫をする──
 近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、
 ということです」
 
「人間に一番悪いのは雑駁とか軽薄とかいうこと(中略)。
 これがひどくなると混乱に陥ります。
 人間で申しますと自己分裂になるのです。
 そこで絶えず自分というものを
 何かに打ち込んでいくことが大切です」』

(3月5日致知出版社人間力メルマガより一部抜粋。この言葉は、致知出版社の「安岡正篤一日一言」に掲載されています。)
 

「絶えず精神を仕事に打ち込んでいく」、「純一無雑の工夫をする」という言葉が印象的でした。

論語には、「倦(う)むこと無かれ」(=飽きずに取り組むことだ)という言葉があります。
でも、「どうすれば飽きずに取り組むことができるか」までは
孔子先生も教えてくれていません。
 
上の文章を読んで思いました。
「倦むこと無かれ(飽きずに取り組む)」とは、「純一無雑の工夫をしていくこと」なのではないか、と。
 
「純一無雑」とは、「まじりけがなく、ひたすらなこと」という意味になるかと思います。
 
「純粋にひたむきに工夫をしていく」ことで、
「日々の仕事に飽きずに取り組むことができるようになる」
ということでなないでしょうか。
 

仕事をしていれば、不平・不満は当然ありましょう。
陰口をたたきたくなるでしょう。
しかし、それでは何の解決にもなりません。
日々の仕事に、純粋ひたむきな工夫をしてゆきましょう。

最後に、「倦むこと無かれ」の章句をあげておきます。
 

子路、政を問う。子曰わく、之に先んじ、之を労(ねぎら)う。益を請う。曰(のたま)わく、倦むこと無かれ。(子路第十三・仮名論語180頁)
弟子の子路が、政治において大切なことを尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「人々の先頭に立って行い、人々の労苦をねぎらうことだよ。」
子路は、物足りない気がして「もう少し」とお願いをしました。
孔子先生が言われました。
「飽きずに取り組むことだよ。」