微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

たとえ雑用でも

どんな小さな仕事でも
たとえ雑用のような
仕事であっても、
その仕事を好きになり
楽しめるような工夫をする。
 
 
子曰わく、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。(雍也第六・仮名論語74頁)
孔子先生は言われました。
「物事を知っているからと言って取り組む者は、これを好んで取り組む者には到底及ばない。だからといって、それを好んで取り組む者でも、それを楽しんで取り組む者には到底及ばない」
 
 
この境地に達すればもはや一流。
どんな仕事を任されても
必ず良い仕事ができるはず。
 
 
子曰わく、徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず。(憲問第十四・仮名論語202頁)
孔子先生が言われました。
「徳のある人は、必ずよいことを言う。しかし、よいことを言う人に必ずしも徳があるとは限らない。仁のある人は、必ず勇気がある。しかし、勇気がある人に必ずしも仁があるとは限らない」
 

孔子先生もその始まりは
雑用だったのである。
 
 
大宰、子貢に問うて曰わく、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なるや。子貢曰わく、固に天之を縦して将に聖たらしめんとす。又多能なり。子之を聞きて曰わく、大宰我を知れるか。吾少かりしとき賤し。故に鄙事に多能なり。君子は多からんや。多からざるなり。(子罕第九・仮名論語112頁)
大宰(呉国の大臣)が弟子の子貢に尋ねました。
孔子先生は聖者なのでしょうか?何と多能なのでしょう」
子貢が答えました。
「天が聖者となることを許しているのです。そのうえ多能であります」
孔子先生がこれを聞かれて言われました。
「大宰は私のことを知っているのだろうか?私は若いときは貧しく地位も低かった。だから、いろんなことをやらざるをえなかった。君子は多能である必要があるだろうか?多能である必要などない」