微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

飽きるとは心が枯れる(穢れ)

飽きるとは
心が枯れること。
 
心が枯れることを
神道では穢れ(けがれ)というらしい。
 
心が枯れないようにするために
 
 
子張、政を問う。子曰わく、之に居りて倦むこと無く、之を行うに忠を以てす。(顔淵第十二・仮名論語171頁)
子張が政治について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「自分の役職を飽きることなく、まごころ込めて行うことだ」
 
 
子曰わく、黙して之を識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まず。何か我に有らんや。(述而第七・仮名論語80頁)
孔子先生が言われました。
「静かに人としての道を識別し、それを学んで飽きることがなく、それを教えて嫌になることもない。その他に私に何があるのだろうか?」
 
 
子曰わく、聖と仁との若きは、則ち吾豈敢てせんや。抑々之を為んで厭わず、人を誨えて倦まずとは、則ち言うべきのみ。公西華曰わく、正に唯弟子学ぶこと能わざるなり。(述而第七・仮名論語95頁)
孔子先生が言われました。
「聖人とか仁者のようなことは、私にはとてもできない。そもそも人としての道を学んで飽きることがなく、それを人に教えて嫌になることもない、このくらいのことしか言えないだろう」
公西華が言いました。
「それこそ私たち弟子が真似ることができないことです」