微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

正しさは人に求めない

君子は自分を正しくするだけで、その正しさを人に求めない。


上位に在りて下を陵がず、下位に在りて上を援かず、己を正しくして人に求めざれば則ち怨み無し。上天を怨みず、下人を尤めず。故に易きに居りて以て命を俟ち、小人は険を行いて以て幸を徼む。(中庸第十四章・仮名中庸22頁)
(君子は)上位にあれば下位の者をしのぎ辱めることは無く、下位にあれば上位の者に取り入って気をひこうとすることも無い。自分を正しくして、その正しさを人に求めなければ、余計な怨みを買うことも無い。天をうらまず、人をとがめない。ゆえに(君子は)人が人として歩むべき平易な道を行き、あとは天命にその身を委ねる。しかし、小人は、あえて人の道を外れ危険を冒し、思いがけない幸運を求める。


仲弓、子桑伯子を問う。子曰わく、可なり、なり。仲弓曰わく、敬に居て簡を行い、以て其の民に臨まば、亦可ならずや。簡に居て簡を行うは、乃ち大簡なること無からんや。子曰わく、雍の言然り。(雍也第六・仮名論語65頁)
仲弓が子桑伯子という人物についてお尋ねしました。
孔子先生が言われました。
「まあよいだろう。おおらか(簡)だね」
仲弓がさらにお尋ねしました。
「大事にするところは引き締める(敬)があって、おおらかに(簡を)行い、こうした態度で民に臨めば、よいと思います。ただ、おおらかであって(簡にいて)、さらにおおらかに(簡を)行うのであれば、おおらか過ぎる(大簡な)のではないでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「雍(仲弓)の言葉はもっともだ」


子曰わく、上に居りてならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以てか之を観んや。(八佾第三・仮名論語36頁)
孔子先生が言われました。
「社会的地位が上位なのに容でなく、礼を行っても相手を敬う気持ちがなく、葬儀に来ても心から悲しまない。そんな人物の人柄を観る価値はない」


子張、仁を孔子に問う。孔子曰わく、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。之を請い問う。曰わく、恭信敏恵なり。(後略)(陽貨第十七・仮名論語264頁)
子張が孔子先生に仁について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「よく五つのことを天下に行う。これを仁というのだよ」
子張はこの「五つのこと」についての教えを請いました。
孔子先生が答えられました。
「『恭』『』『信』『敏』『恵』の五つだよ」