恥と考えていた。
或(ある)ひと曰わく、雍(よう)や、仁にして佞(ねい)ならず。子曰わく、焉(いずく)んぞ佞を用いん。人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以(もっ)てすれば、屡々(しばしば)人に憎まる。其(そ)の仁を知らず、焉んぞ佞を用(もち)いん。(公冶長第五・仮名論語49頁)
ある人が言いました。
「雍(孔子先生の弟子)は、仁者ですが弁が立ちませんね」
これを聞いて孔子先生が言われました。
「どうして弁が立つ必要があろうか。弁が立つ者は次から次へと口先を機転させ、人から憎まれてしまうことが多い。雍が仁者であるかは知らないが、弁が立つ必要など無い」
ある人が言いました。
「雍(孔子先生の弟子)は、仁者ですが弁が立ちませんね」
これを聞いて孔子先生が言われました。
「どうして弁が立つ必要があろうか。弁が立つ者は次から次へと口先を機転させ、人から憎まれてしまうことが多い。雍が仁者であるかは知らないが、弁が立つ必要など無い」
宰予、昼(ひる)寝(い)ぬ。子曰わく、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。予(よ)に於(お)いてか何ぞ誅(せ)めん。子曰わく、始め吾(われ)人に於けるや、其(そ)の言(ことば)を聴きて其の行(おこない)を信ず。今(いま)吾(われ)人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於いてか是(これ)を改(あらた)む。(公冶長第五・仮名論語53頁)
弟子の宰予が昼寝をしていました。
孔子先生が言われました。
「腐った木には彫刻はできない。ぼろ土の垣根は塗り直すことができない。そんなお前をどうして責めることができようか?(責めても仕方がない)」
さらに孔子先生が言われました。
「以前私は、人の言葉を聞いて、その人の行動を信用した。しかし今は、人の言葉を聞いて、その人の行動をよく観察することにした。宰予よ、お前のおかげで改めることができたのだよ」
顔淵、邦(くに)を為(おさ)めんことを問う。子曰わく、(中略)佞人(ねいじん)を遠ざく。(中略)佞人は殆(あやう)し。(衛霊公第十五・仮名論語233頁)
弟子の顔回が国を治めることについて質問しました。
孔子先生が言われました。
「口上手な人を遠ざけることだ。口上手な人は危険だからね」