微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

愛の反対は憎しみでなく

愛の反対は憎しみでなく無関心マザー・テレサの言葉)。

人への無関心すなわち
相手を知らないということは
仁愛に悖る憂うべきことなのである。


子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。(学而第一・仮名論語10頁)
孔子先生は言われました。
 「人に知られないことを憂うのではない。自分が人を知らないのではないかと、憂うのだ


樊遅、仁を問う。子曰わく、人を愛す。知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅、退いて子夏に見えて曰わく、嚮に吾夫子に見えて知を問う。子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむと。何の言いぞや。子夏曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち、衆に選びて皐陶を挙げ、不仁の者遠ざかる。湯、天下を有ち衆に選びて伊尹を挙げ、不仁の者遠ざかる。(顔淵第十二・仮名論語177頁)
樊遅が「仁」について尋ねました。
孔子先生が言われました。
「人を愛することだよ」
樊遅はさらに「知」について尋ねました。
孔子先生が言われました。
「人を知ることだよ」
樊遅は未だ理解に達しない様子でした。
そこで、孔子先生が言われました。
「(天命に)真っ直ぐな者を取り立てて曲がった者の上におけば、曲がった者も真っ直ぐにすることができるのだよ」
樊遅は退出して、今度は子夏に尋ねました。
「先程私は先生に『知』について尋ねました。先生は『真っ直ぐな者を取り立てて曲がった者の上におけば、曲がった者も真っ直ぐにすることができる』と仰いました。どういうことでしょうか?」
子夏が言いました。
「何と豊かな言葉だろう。舜(古代の伝説上の聖天子)は天下を治めるのに、民衆の中から皐陶という人物を取り立てた。すると、不仁の者は自らその姿を潜めた。また、湯王(殷王朝の初代)は天下を治めるのに、民衆の中から伊尹という人物を取り立てた。すると、不仁の者は自らその姿を潜めた」