微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

詩を学ぶ意義

人類は
文字を発明する遙か前から
詩を作り伝承していた。

詩は言葉や文章を
一定のリズムや韻律で並べ、
人々に感動を与える。

感動は人々の心を洗い清める。

心が洗い清められると
悪いことをしたいと思わなくなる。

だから孔子先生は詩を学ぶことを
推奨していたのだろう。


子曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。(泰伯第八・仮名論語103頁)
孔子先生が言われました。
「(人は)詩によって始まり、礼によって自立し、音楽によって完成する」


陳亢、伯魚に問うて曰わく、子も亦異聞有りや。対えて曰わく、未だし。嘗て独り立てり。鯉走りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対えて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退きて詩を学べり。他日又独り立てり。鯉走りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対えて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退きて礼を学べり。斯の二者を聞けり。陳亢退きて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞くなり。(季氏第十六・仮名論語257頁)
陳亢(弟子)が伯魚(孔子の長男で名は鯉)に尋ねました。
「あなたもまた私たちとは別に、何か違ったことを教えられたのではありませんか?」
伯魚が答えました。
「まだそのようなことはありません。ただ、かつて父が庭に一人立っておりました。私が小走りで通り過ぎようとすると、父が私を呼び止めて『詩を学んだかね?』と尋ねてきました。私が『まだです』と答えましたところ、父は『詩を学ばなければ、立派な人と話ができないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で詩を学びました。
またある日、父が一人庭に立っておりました。私が小走りで庭を通り過ぎようとすると、父が私を呼び止めて、『礼を学んだかね?』と尋ねてきました。私は『まだです』と答えました。父は、『礼を学ばなければ世に立っていけないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で礼を学びました。
この二つのことを教えてもらったぐらいでしょうか」
陳亢は、退出してから、他の人に喜んで言いました。
「今日は一つのことを尋ねて、三つのことを知ることができた。詩を学ぶことの大切さ、礼を学ぶことの大切さと、君子は自分の子を特別扱いをしないということを学ぶことができた」


子曰わく、小子、何ぞ夫の詩を学ぶ莫きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。近くしては父に事え、遠くしては君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。(陽貨第十七・仮名論語268頁)
孔子先生が言われました。
「お前たちは、どうしてあの詩を学ばないのかね。詩は、人の気を奮い立たせ、観察力を高め、人と和やかに交わり、怨み言もうまく表現する仕方まで教えてくれる。また、父に事えることや、主君に事えることを知り、その上動植物の名を多く知ることができる」