「礼」は社会に立つためのもの。
社会性と言い換えても良いように思う。
(前略)他日又独り立てり。鯉走りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対えて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退きて礼を学べり。(後略)(季氏第十六・仮名論語257頁)
またある日、父(孔子)が一人庭に立っておりました。私(孔子の長男で名は鯉)が小走りで庭を通り過ぎようとすると、私を呼び止めて、『礼を学んだかね?』と尋ねてきました。私は『まだです』と答えました。父は、『礼を学ばなければ(世に)立っていけないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で礼を学びました。
またある日、父(孔子)が一人庭に立っておりました。私(孔子の長男で名は鯉)が小走りで庭を通り過ぎようとすると、私を呼び止めて、『礼を学んだかね?』と尋ねてきました。私は『まだです』と答えました。父は、『礼を学ばなければ(世に)立っていけないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で礼を学びました。
孔子先生が言われました。
「天命を知らなければ、君子の資格は無い。礼を知らなければ、(社会に)立つことはできない。言葉を知らなければ、人を知ることはできない」
ただ、
礼は形ばかりになってはならない
(つづく「礼」は「仁」の形)
(最初と最後を読めば論語は分かるからの続き)