同じ志をもち、
同じような考え方をしているためか、
日頃から親しくしている友人がいる。
同じような考え方をしているためか、
日頃から親しくしている友人がいる。
ある日、彼がチンピラにからまれ
殴られそうになっていた。
私は日頃から体を鍛え、
護身術を身につけている。
私は彼を助けるため
そのチンピラに護身術をもって対抗するだろう。
そしてその結果、
たとえチンピラに軽傷を負わせたとしても、
私の行為は刑法上
「他人のための正当防衛」と評価される。
集団的自衛権とは、
「他人のための正当防衛」が国家レベルで発現されるものであろう。
「他人のための正当防衛」が国家レベルで発現されるものであろう。
友だち(友好国)を助けることができるのに見捨てるというのでは、
大いに問題ありのように思うのだが…
子曰わく、其(そ)の鬼に非(あら)ずして之(これ)を祭るは諂(へつらい)なり。義を見て為さざるは勇無きなり。(為政第二・仮名論語22頁)
孔子先生が言われました。
「本来祭るべき霊ではないのにこれを祭るのは、へつらいというものだ。正しいことだと分かりながら行わないのは、勇気がないのだ」
孔子先生が言われました。
「本来祭るべき霊ではないのにこれを祭るのは、へつらいというものだ。正しいことだと分かりながら行わないのは、勇気がないのだ」