微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

論語と大学・中庸の関係

論語孔子の言葉を集めたものであって、
孔子の教えを体系的に説明したものではない。
 

そのため論語を読んだだけでは、
孔子の教えは分かりにくい。

孔子の教えを体系的に説明するものとして、
大学と中庸がある。

大学は曽子(孔子の弟子)が著し、
中庸は子思(孔子の孫で曽子に弟子入り)が著した。

大学を読めば、
何のために論語を読むのか、その目的が分かり、
中庸を読めば、
孔子の教えが純粋で美しいものだと分かる。
 

ちょうど次の論語に例えれば、
大学は「門」、
中庸は「宗廟の美・百官の富」と言えるだろうか?
 
孫武(しゅくそんぶしゅく)、大夫(たいふ)に朝(ちょう)に語りて曰わく、子貢は仲尼(ちゅうじ)より賢(まさ)れり。子服景伯(しふくけいはく)(もっ)て子貢に告ぐ。子貢曰わく、諸(これ)を宮牆(きゅうしょう)に譬(たと)うれば、賜(し)の牆(かき)や肩に及(およ)べり、室家(しっか)の好(よ)きを窺(うかが)い見ん。夫子(ふうし)の牆(かき)や数仞(すうじん)(そ)の門を得て入らざれば、宗廟(そうびょう)の美・百官(ひゃっかん)の富(とみ)を見ず。其の門を得る者或(あるい)は寡(すく)なし。夫子の云(い)うこと、亦(また)(うべ)ならずや。(子張第十九・仮名論語302頁)
孫武叔(魯国の大夫)が役所で他の大夫に語りました。
「子貢(孔子先生の弟子)は仲尼(孔子先生)より優れている」
これを子服景伯(魯国孟孫氏の一族)が子貢に知らせました。
子貢が言いました。
「役所の塀に例えれば、賜(この私)の塀は肩ぐらいの高さですから、家の中の小ぎれいな様子が見えるでしょう。先生の塀は7・8メートルもありますので、門を見つけて中に入らないと、宗廟の美しさや役人たちの活発な様子を見ることができません。その門を見つけられる者さえ少ないようですので、あの方(叔孫武叔)がそのように言われるのも、もっともなことでしょう」