微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

中庸は神道と似ている

中庸は
孔子の孫にあたる子思が
孔子の教えを著述したもの」
と言われる。
 
 
日本で自然発生した神道
よく似ている。
 
 
子曰わく、鬼神の徳たる、其れ盛なるかな。之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺す可からず。天下の人をして齊明盛服して、以て祭祀を受けしめ、洋洋乎として其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し。詩に曰わく、神の格る、度る可からず、矧んや射う可けんやと。夫れ微の顕にして、誠の揜う可からざる此の如き夫。(中庸第十六章・仮名中庸26頁)
孔子先生が言われました。
「天の徳というものは何と盛大なことだろう。これを見ようとしても見えない。これを聴こうとしても聞こえない。万物に宿って残存しない。天下の人々の心を正させ礼服を着させて祭祀を行わせ、果てしなく広大で自分の頭上や身辺に在るかのようだ」と。
また詩経には次の言葉がある。
「神が来るかどうかははかることができない。どうして拒むことができようか」と。
微かのようで時にはっきりと現れるように、天の徳(誠)は覆い隠すことができないというのは、このようなことなのだろう。