これだけネット社会と
なっているのに
いまだに曲解を流布する奴がいる
いまだに曲解を流布する奴がいる
のはどういうことだろうか?
たしかに、「民」は奴隷が語源。
だからといって次の章句を
「政治のことを民(奴隷)に
知らせる必要はない」
などと解釈して良いわけがない。
などと解釈して良いわけがない。
子曰わく、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。(泰伯第八・仮名論語103頁)
「由らしむべし」は、
「頼らせなければならない」
であり、
「信頼してもらえるような
「信頼してもらえるような
政治を行わなければならない」と
解釈するべきである。
そして「知らしむべからず」は、
「知らせてはならない」
ではなく、
「知らせることはできない」
↓
「知らせることは難しい」
↓
「政治を知らせるのは難しい」と
「知らせることはできない」
↓
「知らせることは難しい」
↓
「政治を知らせるのは難しい」と
解釈するべきである。
したがって上の章句は、
「政治において大事なのは
だいたい人としての道を
「仁」と説き、
一生涯貫くべき一つのことを
一生涯貫くべき一つのことを
「恕(おもいやり)」とした孔子が
「政治のことを
「政治のことを
民(奴隷)に知らせるな」
などと言うはずがない。
大学にも
大学にも
「大学の道は、(中略)
民に親しむに在り」
とあるのである。
論語の短く抽象的な章句を
一部利用してそれをさも
「孔子が言ってる」などと
流布するのは、
このネット社会においては
このネット社会においては
小人以外の何者でもない。