収入が少ない。
生活は豊かとは言えないかも知れない。
でも心は豊かでありたいと思う。
子貢曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは如何(いかん)。子曰わく、可なり。未(いま)だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰わく、詩に言う、切(せっ)するが如(ごと)く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しと。其(そ)れ斯(これ)を之(こ)れ言うか。子曰わく、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(これ)に往(おう)を告げて来(らい)を知る者なり。(学而第一・仮名論語9頁)
弟子の子貢が言いました。
「貧乏でも人にこびへつらうこと無い者や、お金持ちでも傲り高ぶらない者は立派な人と言えるでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「まあ良いだろう。しかし、貧しくても人の道を楽しむ者や、お金持ちでも謙虚に礼を好んで行う者には及ばないよ」
子貢がさらに言いました。
「詩経には、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如く、(怠ることなく道にはげむ)』とありますが、このようなことを言うのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「賜(子貢の名)よ、お前と初めて詩を語ることができたね。一つのことを教えたら、すぐに次のことを連想することができたね」
子曰わく、貧しくして怨(うら)む無きは難(かた)く、富みて驕(おご)る無きは易(やす)し。(憲問第十四・仮名論語205頁)
孔子先生が言われました。
「貧乏でも怨みがましくならないのは難しい。それに比べれば、お金持ちなのに傲り高ぶらないことなど、容易なことだ」
孔子先生が言われました。
「貧乏でも怨みがましくならないのは難しい。それに比べれば、お金持ちなのに傲り高ぶらないことなど、容易なことだ」