微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

子貢(論語、学而第一⑩)

子貢は孔子より31歳若い弟子。

言語能力に優れ、
孔子から多くの名言を引き出した。

論語を充実させたのは
間違いなく子貢だろう


子禽、子貢に問うて曰わく、夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く、之を求めたるか、抑抑之を与えたるか。子貢曰わく、夫子は温良恭倹譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。(学而第一・仮名論語5頁)
子禽が子貢に尋ねました。
「先生はどこの国に行かれても、必ず政治について相談を受けますが、これは先生がご自分から求められたものなのでしょうか?それとも先方からもちかけられたものなのでしょうか?」
子貢が答えました。
「先生は温(あたたかく)良(すなおで)恭(うやうやしく)倹(つつましく)譲(人に譲る)のお人柄。このお人柄が人に相談をさせてしまうのです。先生が相談を受けるのは、一般の人が相談を受けるのとは全く異なるものでしょう」


子貢曰わく、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。子貢曰わく、詩に言う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しと。其れ斯を之れ言うか。子曰わく、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。(学而第一・仮名論語9頁)
子貢が言いました。
「貧乏でも人にこびへつらわない人や、裕福でも傲り高ぶらない人はどうでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「まあ良いだろう。しかし、貧しくても道を楽しみ、裕福でも謙虚に礼を好んで行う人には及ばないよ」
子貢がさらに言いました。
詩経には、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如く、(怠ることなく道にはげむ)』とありますが、このようなことを言うのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「賜(子貢)や、お前と初めて詩を語ることができた。一を教えたら、すぐ二を連想するのは、お前だね」


子貢曰わく、如し博く民に施して、能く衆を済う有らば如何。仁と言うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す能く近く譬を取る。仁の方と言うべきのみ。(雍也第六・仮名論語79頁)
子貢が尋ねました。
「もし広く民衆に施しをして民衆を救う者がいたとすれば、どうでしょうか?仁者というべきでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「仁者どころではない。それはもう聖人だろう。堯舜(伝説上の聖天子)でさえそれが難しいがために常に心を痛めていたのだ。仁者とは、自分が立とうと思えば先に人を立て、自分が達しようと思えば先に人を達させるように、日々の身近なところで行う人のことを言う。これが仁を実践する手近な方法だろう」


子曰わく、我を知ること莫きかな。子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子曰わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。(憲問第十四・仮名論語219頁)
孔子先生が「私を認めてくれる人がいない…」と漏らされました。
子貢が驚いて言いました。
「先生のような方が認められないことなどございましょうか?」
孔子先生が言われました。
「認められないとはいえ、私は天を怨んだり人をとがめたりはしない。私は身近なところから学び、だんだんと深い学問・真理に通じてきた。私のことを本当に認めてくれるのは、天であろうか?」


子貢問うて曰わく、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。(衛霊公第十五・仮名論語237頁)
子貢が尋ねました。
「生涯行っていくべき大切なことを、たった一言で表すとすれば、何でしょうか?」
孔子先生が言われました。
「それは恕というものだろう。自分にされたくないことは、他の人にもしないことだよ」


子曰わく、予言うこと無からんと欲す。子貢曰わく、子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。子曰わく、天何をか言うや、四時行われ百物生ず。天何をか言うや。(陽貨第十七・仮名論語272頁)
孔子先生が「もう何も言いたくない」と言い出されました。
子貢が言いました。
「先生が何も言わなければ、私たち弟子はどうやって後世に伝えてゆけば良いのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「天は何を言うだろうか?何も言わなくても、四季はめぐるし、万物は成長する。天は何を言うのだろうか?」