微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

君子も遊ぶ

もしも自動車のハンドルに
遊びが無かったら、
ハンドリングが
ぎこちないものとなって
安全に運転することが
できなくなってしまうだろう。

人間もそれと同じ。

もしも人間に遊びが無かったら、
こちこちの融通のきかない
小人と言われてしまうのだろう。
  
だから君子にも遊びは必要。

ただし、
道に志し、徳により、仁によることを忘れなければ…
 
 
子曰わく、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。(述而第七・仮名論語81頁)
孔子先生が言われました。
「(自分の歩むべき)道を志し、(天から与えられた)徳に基づき、仁(人の道)から離れない。その上で、芸事に遊ぶのだよ」
 
 
子貢問うて曰わく、如何なるか斯れ之を士と言うべき。子曰わく、己を行うに恥有り、四方に使して君命を辱しめざるは、士と言うべし。曰(い)わく、敢て其(そ)の次を問う。曰(のたま)わく、宗族孝を称し、郷党弟を称す。曰(い)わく、敢て其の次を問う。曰(のたま)わく、必ず信、行必ず果、硜硜として小人なるかな。抑以て次と為すべし。曰(い)わく、今の政に従う者は如何。子曰わく、噫、斗升の人何ぞ算うるに足らんや。(子路第十三・仮名論語193頁)
弟子の子貢が尋ねました。
「どういう人物を『士』と言うのでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「自分の行いをかえりみて恥じるようなことはしない。外国へ使いをして君主をはずかしめない。そのような人物なら、『士』ということができるだろう」
子貢が更に尋ねました。
「『士』に次ぐ段階の人物は、どんな人物でしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「親族一同が『孝』だと褒め、郷里の人たちが『弟(兄や目上の人に穏やかにへりくだること)』だと褒めるような人物だろう」
子貢がまた更に尋ねました。
「その次の段階の人物は、どんな人物でしょうか?」
孔子先生が答えられました。
言葉が必ず信用でき、行動に必ず成果が出る人物だろう。しかし、こんな人は、こちこちで融通のきかない小人だろう。でもまあその次として良いだろう」
子貢が最後に尋ねました。
「今、政治に当たっている人物は、どうでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「ああ、マスで測れるような小物ばかりで、とりあげるまでもないよ」