仁とは人の道であった。
では人の道とは何だろうか?
子曰わく、予言うこと無からんと欲す。子貢曰わく、子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。子曰わく、天何をか言うや、四時行われ百物生ず。天何をか言うや。(陽貨第十七・仮名論語272頁)
孔子先生が「もう何も言いたくない」と言い出されました。
弟子の子貢が言いました。
「先生が何も言わなければ、私たち弟子はどうやって後世に伝えてゆけば良いのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「天は何を言うだろうか?何も言わなくても、四季はめぐるし、万物は成長する。天は何を言うのだろうか?」
孔子先生が「もう何も言いたくない」と言い出されました。
弟子の子貢が言いました。
「先生が何も言わなければ、私たち弟子はどうやって後世に伝えてゆけば良いのでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「天は何を言うだろうか?何も言わなくても、四季はめぐるし、万物は成長する。天は何を言うのだろうか?」
孔子先生は天に学べと
仰っているように思う。
すると、
次の中庸の言葉が思い出される。
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。(第二十章・仮名中庸48頁)
誠は天の道である。その天の道を学んで誠になるのが人の道である。
「人の道」は「誠」なのだと思う。
では誠になるには、
どうすればよいのだろうか?
中庸にはその方法が
書いてあるように思う(つづく)。