(関連記事②孔子の指導法)。
(関連記事③本当に分かってくれる弟子だけに語ったこと)。
孔子の孫の代ともなれば、
誤解はさらに激しくなっていたことだろう。
誤解はさらに激しくなっていたことだろう。
子思が中庸を書いたのには、
以上のような経緯があったものと考えられる。
子曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮なきこと久し。(雍也六・仮名論語78頁)
孔子先生が言われました。
「中庸の徳は、完全で最高だが、人々の間に少なくなって久しい」
子曰わく、中庸は其れ至れるかな、民能くする鮮きこと久し。(中庸第三章・仮名中庸5頁)
孔子先生が言われました。
「中庸は完全で最高だが、人々が行うことが少なくなって久しい」