微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

中庸は孔子の真意

中庸を書いたのは、孔子の孫・子思(しし)。
中庸は「孔子の真意を述べた」ものとされる。
このゆえに子思は「述聖」と称される。
 

孔子といえば、論語がある。
しかし、論語だけでは孔子の真意は分かりにくい。
なぜなら、論語孔子の言葉を集めたものに過ぎず
(関連記事①孔子の論語ではない?!)、
しかも孔子の言葉は話し相手の個性に合わせて発せられていたからである
(関連記事②孔子の指導法)。

さらに、
孔子は本当に伝えたいことは特定の弟子にしか伝えなかった。
そのため、孔子の教えは孔子が生きている時代でさえも、
誤解されていたのだった
 
 
孔子の孫の代ともなれば、
誤解はさらに激しくなっていたことだろう。
 

子思は曽子の弟子。
曽子は孔子の真意を受け継いでいた(関連記事①)。
その曽子の弟子であった子思にとっては、
祖父・孔子の真意が曲解されることを憂えないはずはなかった。
 

子思が中庸を書いたのには、
以上のような経緯があったものと考えられる。
 
 
子曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮なきこと久し。(雍也六・仮名論語78頁)
孔子先生が言われました。
「中庸の徳は、完全で最高だが、人々の間に少なくなって久しい」
 
 
子曰わく、中庸は其れ至れるかな、民能くする鮮きこと久し。(中庸第三章・仮名中庸5頁)
孔子先生が言われました。
「中庸は完全で最高だが、人々が行うことが少なくなって久しい」