微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

孔子の後継者(論語は誰が作ったか?2)

前回からの続き)

論語にはたくさんの孔子の弟子が登場する。
なのに何故、論語を作ったのが曽子の弟子たちだったのであろうか??

それは、
孔子の真意を最もよく受け継いでいた弟子が
曽子であったからと思われる。

孔子の真意を最もよく受け継いでいた弟子といえば、
当初は顔回(=顔淵)だった。
 

子曰わく、回や其(そ)れ庶(ちか)きか。屡(しばしば)(むな)し。(後略)(先進第十一・仮名論語150頁)
孔子先生が言われました。
顔回はあと少しで到達するだろう。だがまだ外すことがある。」
 

顔回孔子より30歳若い(仮名論語16頁上)。
孔子がこの顔回を後継者として考えていたであろうことは、
顔回が亡くなったときの次の孔子の言葉を見れば推測ができる。
 

顔淵死す。子曰わく、噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり、天予を喪ぼせり。(先進第十一・仮名論語144頁)
弟子の顔回が死んでしまった。
孔子先生が言われました。
「ああ、天は私を滅ぼした。天は私を滅ぼした。」
 

後継者として考えていた顔回が死んでしまった。
それゆえに、孔子は天に見捨てられたかのように思っていたのかもしれない。
 
ところが、天は孔子を見捨ててはいなかったのだった。(つづく