2013-02-23 孔子の後継者(論語は誰が作ったか?2) 論語の基礎知識 #練習用 (前回からの続き) 論語にはたくさんの孔子の弟子が登場する。 なのに何故、論語を作ったのが曽子の弟子たちだったのであろうか?? それは、 孔子の真意を最もよく受け継いでいた弟子が 曽子であったからと思われる。 孔子の真意を最もよく受け継いでいた弟子といえば、 当初は顔回(=顔淵)だった。 子曰わく、回や其(そ)れ庶(ちか)きか。屡(しばしば)空(むな)し。(後略)(先進第十一・仮名論語150頁) 孔子先生が言われました。 「顔回はあと少しで到達するだろう。だがまだ外すことがある。」 顔回は孔子より30歳若い(仮名論語16頁上)。 孔子がこの顔回を後継者として考えていたであろうことは、 顔回が亡くなったときの次の孔子の言葉を見れば推測ができる。 顔淵死す。子曰わく、噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり、天予を喪ぼせり。(先進第十一・仮名論語144頁) 弟子の顔回が死んでしまった。 孔子先生が言われました。 「ああ、天は私を滅ぼした。天は私を滅ぼした。」 後継者として考えていた顔回が死んでしまった。 それゆえに、孔子は天に見捨てられたかのように思っていたのかもしれない。 ところが、天は孔子を見捨ててはいなかったのだった。(つづく)