微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

嫌われては意味が無い


 
どんなに論語に感動してそれを伝えたくなっても、
論語を使って話しをしていては、嫌われるだけでしょう。
 

子游曰わく、君に事(つか)うるに数(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱(はずか)しめらる。朋友に数すれば、斯に疎(うと)んぜらる。(里仁第四・仮名論語46頁)
弟子の子游が言いました。
「主君に事えて何度も諫めると、逆に屈辱を受けることになる。友人に何度も忠告すると疎遠にされてしまう。」
 

子貢、友を問う。子曰わく、忠(まめ)やかに告げて善く之を道(みちび)き、不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)めらるること無かれ。(顔淵第十二・仮名論語178頁)
弟子の子貢が「友」について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「もしも友人がよくないことをしていたら、まごころこめて忠告し、よい方向へ導くことが大切だろう。もし聞いてもらえなければ、それ以上の忠告はやめる。かえって自分が恥ずかしい思いをしてしまうようなことが無いようにしなければならない。」
 

私は、リアル世界では、論語の内容を話の中に織り込むことはありますが、
直接論語を使うことは、滅多なことがない限りは、しないようにしています。
そのため、このブログの存在自体も、
リアル世界の人たちに知らせないようにしています。

嫌われてしまっては、伝えたいことも伝わらなくなってしまいますので、、、。
 

子曰わく、辞(じ)は達するのみ。(衛霊公第十五、仮名論語244頁)
孔子先生が言われました。
「言葉は、相手に伝わりさえすれば、それで十分なのだよ」