孔子にも、こんなストレス?があったようです。
子曰わく、徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂なり。(述而第七・仮名論語80頁)
孔子先生が言われました。
「徳が身につかないこと、学が究められないこと、正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないこと。この四つが常に私の心を痛めている。」
孔子先生が言われました。
「徳が身につかないこと、学が究められないこと、正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないこと。この四つが常に私の心を痛めている。」
たしかに、論語を参考にすると、余計な悩み事が少なくなると実感することがあります。
子曰わく、位無きを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。(里仁第四・仮名論語42頁)
孔子先生が言われました。
「地位が無いのを気にするよりも、どうすれば地位を得られるのか考える方が良い。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるようになるか考える方が良い。」
孔子先生が言われました。
「地位が無いのを気にするよりも、どうすれば地位を得られるのか考える方が良い。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるようになるか考える方が良い。」
余計なストレスが軽減されて、こうなるのかもしれません。
子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。(雍也第六・仮名論語76頁)
孔子先生が言われました。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は活動的で、仁者は静寂的である。知者は(変化)を楽しみ、仁者は長寿である。」