微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

一人っ子はわがままなのか

一人っ子だからといって、わがままだと決めつけないでほしい。
 
 
司馬牛、憂えて曰わく、人は皆兄弟有り、我独り亡し。子夏曰わく、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。君子は敬(つつし)みて失うこと無く、人と与(まじわ)るに恭(うやうや)しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患(うれ)えんや。(顔淵第十二・仮名論語164頁)
弟子の司馬牛が悲しみ嘆いて言いました。
「他のみんなには兄弟がいるのに私にはいない…」
そんな司馬牛に同じく弟子の子夏が言いました。
「私は『死生や富貴は全て天命』と聞いている。君子は、人としての道に外れるようなことをせず、謙虚に敬意をもって人と接すれば、世の中の人はみな兄弟のように接してくれるだろう。君子は、兄弟がいないことを気にする必要はないのだよ。」
(実際には司馬牛には兄がいた。が、司馬牛の兄は無法者だったため、司馬牛は肩身が狭い思いをしていた。)
 

宗教の「宗」は、「本(もと)」という意味。
宗教は、「人の本となる教え」というのが元々の意味である。
論語は、「人の本となる教え」という意味で宗教である。
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わがままになるか否かは、兄弟がいるか否かで決まるのではないのである。
 
 
子、四を絶つ。意(い)(な)く、必(ひつ)毋く、固(こ)毋く、我(が)毋し。(子罕第九・仮名論語111頁)
孔子先生は、四つのことを絶たれていました。その四つとは、①主観だけで勝手な憶測をすること、②自分の考えや意見を押し通すこと、③頑固であること、そして④自己中心に考えること、でありました。