微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

ノーベル賞・山中教授も三日坊主だった?!

山中教授のキャリアは外科医に始まった。
だが、不器用だったため外科医の道を挫折。
大学院に入り直し、研究の道へ進んだ。
しかし、そこでも僅か数年で研究テーマを2回も3回も変えている。
これに対し、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトリーダー川口淳一郎氏は仰った。
 
『日本ではよく三日坊主をダメだと叱りますよね。だけど本当に好きなものを見つけるまでは、三日坊主で大いに結構だと思うんです。もちろん一日でやめちゃダメですが、三日坊主は「二日頑張った」というところが大事なんですね。それで三日目に展望が開けなければ、別の道へ行けばいいと。』
 
致知11月号17・18頁より)
 

天命を知るまでは、三日坊主でも良いのかもしれない。
 

孔子曰わく、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。(後略)(堯曰第二十・仮名論語313頁)
孔子先生が言われました。
「天命を知らなければ、君子の資格はない。」
 

子曰わく、(中略)五十にして天命を知り、(後略)。(為政第二・仮名論語12頁)
孔子先生が言われました。
「私は、50歳で天命を知った。」
 

ただし、いくら三日坊主とはいえ、二日間は頑張ることが大事なのだという。
 

冉求曰わく、子の道を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は中道(ちゅうどう)にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり。(雍也第六・仮名論語71頁)
弟子の冉求(冉有)が言いました。
「先生の教えがわからないのではないのです。ただ私の力が足りませんので先生の教えを行うことができないと思うのです。」
これに対して孔子先生が言われました。
「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。本当に力の足りない者は、途中で力尽きるだろう。今のおまえは、はじめから自分の力を見限ってしまっているだけだ。」
 
 
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。(第二十章・仮名中庸48頁)
誠は天の道である。その天の道を学んで誠になるのが人の道である。
 

天命というものは、誠心誠意努力する者だけに知ることを許されたものなのかもしれない。
 

君子は、其(そ)位に素して行い、其の外(ほか)を願わず。(第十四章・仮名中庸21頁)
君子は、自分の地位に基づいて(誠心誠意)行うことだけを考え、その他余計なことを願わない。