微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

皇位継承問題、日経へ反論

基本的に私は、
日本経済新聞の論調には共感するものが多い。
 
ただし、皇位継承問題については、同意できないことが判明した。
10月6日日本経済新聞朝刊に、こんな記事があった(一部抜粋)。
井上亮編集委員が書いている。
 

『戦前約20あった宮中祭祀(さいし)の9割は明治期に「創設」されており、大喪の礼即位の礼などの儀式は欧州の王室を参考にした和洋折衷的なものだった。万世一系、男系継承も明治に確立した思想だ。
  一方で、明治国家は奈良、平安から江戸時代まで続いてきた皇室の中国式の儀礼や仏教との関係を断ち切り、1000年以上の伝統を簡単に葬り去った。 
 伝統派の主張には、明治の創作を皇室古来の伝統と錯覚しているものが散見される。皇室の長い歴史を見ると、驚くほど制度の変化がある。だからこそ、時代に対応し、皇室は存続してきたといえる。 
 女性宮家問題は皇室の柔軟な歴史の線上で考えるべきだろう。狭い伝統観に固執することは、ひいきの引き倒しになりかねない。』
 
 
この記事を読むと、
 
万世一系、男系継承の思想は明治時代に確立された。
明治国家は1000年以上続く皇室の儀礼の多くを葬り去っている。
皇室は時代に応じて柔軟に制度を変えている。
だから、時代に応じて女系天皇も容認せよ。」
 
と主張しているように思えてしまう。
 

しかし、
 
まず、万世一系・男系継承の思想が明治時代に確立されたものではない。
継体天皇後花園天皇光格天皇の実例は、
万世一系・男系継承が明治時代より前の伝統であることを物語っている。
 
次に、たしかに皇室は時代に応じて柔軟に制度を変化させているが、
本質的なことは変化させてはいない。
たとえば、皇族男子の名前が「○仁」となっている。
「仁」とは、二人の人が対等に相親しむことを示す漢字である。
 

大学の道は、(中略)民に親しむに在り。(仮名大学1頁)
大人となる学問の道は、人々と相親しむところにある。
 

「○仁」の伝統は、皇室が国民と相親しむことを示しているのである。
この伝統は、平安時代から続いている。
このように、本質的なことは、変化させていないのである。
変化させたのは末端的な儀礼・形式であろう。
万世一系・男系継承の思想は、末端的な儀礼・形式ではなく、
本質的な部類であると、私は考える。
 

子貢、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰わく、賜(し)や、女は其の羊を愛(おし)む。我は其の礼を愛む。(八佾第三・仮名論語30頁)
弟子の子貢が、ある伝統的な儀式に羊の肉をお供えするのをやめた方が良いと考えました。
これに対し、孔子先生が言われました。
「子貢よ、お前は羊の肉が惜しいとでも思っているのか。私は、伝統を大切にする心が失われるのを惜しむよ。」
 
男系継承は、守らなければならない本質的な伝統であると思う。
悠仁親王殿下があらせられ、旧皇族に男系男子がいらっしゃる現状では、男系継承は可能なのであり、
この現状で女系天皇を容認することは、
本当に守らねばならない伝統を大切にする心を軽視しているように思える。

女系天皇を容認する問題と、悠仁さまサポート体制整備の問題は、別次元の問題である。