微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

父の日と母の日

明日は父の日。
ということで、父に関する章句をいくつか掲載しておきます。
(母の日にも書けましたね……。)
 

子游、孝を問う。子曰わく、今の孝は是(こ)れ能(よ)く養うを言う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば何を以て別(わか)たんや。(為政第二・仮名論語14頁)
弟子の子游が孝行について尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「今では親に衣食の不自由をさせないのを孝行というらしい。だが、そうであれば犬や馬などでも皆よく養えるではないか。敬の心がなければ、どうやって犬や馬を養うことと区別するのだろうか。」
 

子曰わく、父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方(ほう)あり。(里仁第四・仮名論語44頁)
孔子先生が言われました。
「お父様やお母様が生きているうちは、遠くへ旅に出ないほうが良い。やむを得ず遠くへ旅するときは、お父様やお母様に心配をかけないよう、心がけることだ。」
 

子曰わく、父母の年は、知らざる可(べ)からざるなり。一は則(すなわ)ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。(里仁第四・仮名論語45頁)
孔子先生が言われました。
「父母の年齢は、忘れてはならない。父母の長生きを喜ぶことができるし、先の短いことを心配することができるから。」
 
 
 
ところで、お父さん(お母さん)へ、何かプレゼントは用意しましたか?
まだの人は、この章句を思い出してみては如何でしょう。
 

子曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何にせん。人にして仁ならずんば、楽を如何にせん。(八佾第三・仮名論語24頁)
孔子先生が言われました。
「仁の心が無ければ、礼に何の意味があるのだろうか。仁の心が無ければ、音楽の演奏に何の意味があるのだろう。(礼を行うにも、音楽を演奏するにも、相手を思う心を込めて……)」
 

林放、礼の本を問う。子曰わく、大なるかな問や。礼は其(そ)の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹せよ。喪(そう)は其の易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(八佾第三・仮名論語24頁)
林放という魯国の人が、礼の基本を尋ねました。
孔子先生が答えられました。
「大事な質問だね。礼はぜいたくをするよりはむしろ、つつましくする方が良いよ。喪は形式を整えるよりはむしろ、心から悲しむ方が良いよ。」
 

お父さん(お母さん)への感謝を込めて、何かささやかなものを贈ってみてはいかがでしょうか。