そんな質問をされたら、私は次のように答えることにしています。
「普通の意味では宗教ではないけれども、本当の意味で宗教だよ」と。
どういうことか、と言いますと……。
「宗教」は普通、「神に関する信仰」という意味になるかと思います。
論語はこの意味では、完全に宗教ではありません。
その証拠には次の三つの章句を挙げることができます。
(前略)子曰わく、(中略)鬼神を敬して之を遠ざく、知と言うべし。(後略)(雍也第六・仮名論語75頁)
孔子先生が言われました。
「神や鬼など人智を超越したものは、尊敬するべきだけれども、遠ざけて頼らないようにするべき。これを知というのだよ。」
季路、鬼神に事(つか)えんことを問う。子曰わく、未だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事えん。曰(い)わく、敢(あえ)て死を問う。曰(のたま)わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。(先進第十一・仮名論語146頁)
弟子の季路(子路)が孔子先生に尋ねました。
「神や鬼など人智を超越したものにつかえるには、どうしたら良いでしょうか。」
孔子先生は答えられました。
「まだ人にさえ充分につかえることができないのに、どうして神や鬼などにつかえることができるだろうか。」
子路は更に、「死」について尋ねました。
孔子先生は答えられました。
「まだ自分がこの世に生まれ、生きている意味さえもよく分からないのに、どうして死がなんであるかが分かるだろうか。」
論語がもし「神に関する信仰」であれば、これらの章句は絶対に無いでしょう。
このように、論語は明らかに「神に関する信仰」としての宗教ではないのです。
ただ、普通の意味では宗教でないとしても、
「本当の意味での宗教」だと思っています。
「宗教」の「宗」という漢字を見てください。
この字は、「ウ(屋根)+示(祭壇)」で構成され、「先祖をまつる所」を意味します。
「先祖をまつる所」→「一族の中心」→「一族の中心となる本家」→「本」という意味を持ちます(漢字源より)。
実際、「本家」のことを「宗家」と言ったりします。
また、「植民地」に対する「本国」を「宗主国」と表現したりもします。
「先祖をまつる所」→「一族の中心」→「一族の中心となる本家」→「本」という意味を持ちます(漢字源より)。
実際、「本家」のことを「宗家」と言ったりします。
また、「植民地」に対する「本国」を「宗主国」と表現したりもします。
つまり、「宗」には「本」という意味があるのです。
そうすると、「宗教」は「本教」つまり「本となる教え」という意味になります。
この「本となる教え」が何かと言えば、
「人間とは何か、どう生きるか」を考える「人間学」ということになりましょう。
「人間とは何か、どう生きるか」を考える「人間学」ということになりましょう。