微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

相続が争族では悲しい

昨日6月6日の日本経済新聞朝刊M&I 3面に
「相続を争族としないために遺言書を残そう」という内容の記事がありました。
 
親の遺産をめぐって、
兄弟姉妹の間で争奪戦が起きてしまうことが本当に多いみたいです。
そのため、「相続」を「争族」などと表現されてしまう事態にもなっているそうです。
 
兄弟姉妹は助け合う者同士。
争族だなんて、そんな悲しいことにはなってほしくありません。
 
ただ、上の新聞記事は、争族と化すことを防ぐために、
遺言書を残すことを勧めていました。
 
遺言書を残すのは、法律的な観点では良いことなのかもしれませんが、
兄弟姉妹が助け合うという観点からすれば、本末転倒な気がします。

 
物に本末有り、事に終始有り。先後するところを知れば、則ち道に近し。(仮名大学2頁)

子曰わく、訟(うったえ)を聴くは、吾(われ)(なお)人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。(顔淵第十二・仮名論語171頁)
孔子先生が言われました。
「訴えを聞いて判決を下すことは、私も他の裁判官と変わりはない。ただ、訴えのない世の中にしようと思うのが、他の裁判官と違うところだ。」(孔子は裁判官兼法務大臣といえるような役職に就いたことがありました)
 

上で紹介した新聞記事では、こんな事例が挙げられていました。
 

『Aさんは3人兄弟の長男。5年前に亡くなった父は数カ所の土地を「お母さんと兄弟で平等に分けてほしい」が口癖だった。ただ、父が遺言を残さなかったのが、家族関係に暗い影を落とすことになるとは想像もしなかった。
 民法法定相続分は配偶者である母と子が2分の1ずつ。子どもが複数なら均等に相続する。もちろん、相続人全員が合意すれば分け方は自由に決められる。Aさんたちが遺産分割を話し合う過程で、三男が反発。家庭裁判所での調停寸前までもめた揚げ句、何とか合意にこぎ着けた。
 Aさんの苦悩は続いた。父の死から2年後に母も他界。母も遺言書を残さず、今度は母が継いだ土地の分け方を巡り再び争った。
 Aさんは先祖代々の土地を売ることに抵抗があったが、最後は「売却して代金を3等分すべき」という三男の強硬な主張に従った。2人の間には感情的なしこりが残り、絶縁状態が続いているという。』

 
Aさんは、「先祖伝来の土地を売ることに抵抗があった」とあります。
「三男の強硬な主張に従って、売却して代金を三等分した」と読めます。
まるで、三男の所為だと言わんばかりです。
しかし、長男たるAさんの態度はどうだったのでしょうか。
 
大学には、こうあります。
 

所謂(いわゆる)国を治むるには、必ず先ず其(そ)の家を齊(ととの)うとは、其の家教う可(べ)からずして、能(よ)く人を教うる者は之れ無し。(中略)孝は君に事(つか)うる所以(ゆえん)なり。弟(てい)は長に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。(仮名大学18頁)
「国を治めるには、必ずまずは自分の家を整えよ」というわけは、自分の家の家人に教えることが出来なくて、赤の他人に教えることはとうてい出来ないからである。(中略)親への孝は、君主に仕える本となる。兄・姉に穏やかに謙遜することは、上司や先輩に仕える本となる。子どもや弟・妹を慈しむことは、部下や後輩を使う本になる。」
 

長男のAさんは「先祖伝来の土地」と発言し、
一家の代表であるような態度をとっています。
そうであれば、弟である三男に対し、
「慈しむ」という態度で今まで接してきたのでしょうか。
新聞記事の事例からは、Aさんが今までどういう態度で弟に接してきたのか、
くわしいことは分かりません。
しかし、相続に関する争い多くは、
家を守るという観点が余りにも抜け落ちているような気がしてなりません。
それは、一家の代表となるべき者がそれ以外の兄弟姉妹に対し、
慈しみの心をもって接していないのからなのではないかと思えて仕方ありません。
一家の長たる者が慈しみの心を持たずに、
どうして他の兄弟姉妹が家のことを考えてくれるのでしょうか。

 
現代は、家という観点をあまりにも軽視し過ぎているように思います。
敗戦以来推し進めてきた米国流個人主義の行き過ぎのように思います。
それがゆえに、親子兄弟を助け合おうという発想も希薄になっているのでありましょう。
最近生活保護受給者が過去最高を更新し続けていることが問題になっていますが、
その理由の一つでもあるような気がしています。

 
孔子もこう言っています。

 
子曰わく、過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし。(先進第十一・仮名論語149頁)

 
現代の日本は、もう少し、家という観点を取り戻した方が良いように思います。