微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

文王

文王は武王の父。

文王こそ、孔子が最も模範とする先王である。


子曰わく、憂無き者は唯だ文王か。王季を以て父と為し、武王を以て子と為し、父之を作し、子之を述ぶ。(中庸第十八章・仮名中庸30頁)
孔子先生が言われました。
「心配の無かった者は文王であろう。王季を父とし、武王を子とした。父が周の基礎を作り、子がこれをよく受け継いだ」


子、匡に畏す。曰わく、文王既に没したれども、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何にせん。(子罕第九・仮名論語112頁)
孔子先生が匡の町で恐ろしい目に遭われた時、こう言われました。
「文王はすでに亡くなられたが、文王の道はこの私が受け継いでいる。天が文王の道を滅ぼそうとするなら、私は文王の道の実現に携わることはできないはずだ。天が文王の道を滅ぼそうとしない限り、匡の町の人たちは私のことをどうにもできない」


詩に云わく、穆穆たる文王、於緝煕にして敬止すと。人君と為りては仁に止まり、人臣と為りては敬に止まり、人子と為りては孝に止まり、人父と為りては慈に止まり、国人と交わりては信に止まる。(大学・仮名大学8頁)
詩経には、「深遠な風格ある文王は、ああ、いつも明るく親しみやすく、それでいて常に心に敬をもっていた」という言葉がある。
文王のように、君主となれば常に心に仁を、臣下となれば常に心に敬を、子となれば常に心に孝を、父となれば常に心に慈を、国人と交わる際には常に心に信をもつのである。