微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

己立たんと欲して人を立て(論語、雍也第六㉚)

孔子先生は
弟子の個性に合わせて教えてくれる。

己立たんと欲して人を立て、
己達せんと欲して人を達す」は
子貢に対する言葉。

そのまま真に受けるのは適当でない。

この言葉がもし
不特定多数に向けて
発されたとすれば、
新約聖書にある
次の言葉のようになっていたと思えるのである。


自分にしてもらいたいことは、
ほかの人にもそのようにしなさい
新約聖書「マタイによる福音書」7章12節)


子貢曰わく、如し博く民に施して、能く衆を済う有らば如何。仁と言うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と言うべきのみ。(雍也第六・仮名論語79頁)
子貢が尋ねました。
「もし広く民衆に施しをして民衆を救う者がいたとすれば、どうでしょうか?仁者というべきでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
「仁者どころではない。それはもう聖人だろう。堯舜(伝説上の聖天子)でさえそれが難しいがために常に心を痛めていたのだ。仁者とは、自分が立とうと思えば先に人を立て、自分が達しようと思えば先に人を達させるように、日々の身近なところで行う人のことを言う。これが仁を実践する手近な方法だろう」