孔子先生が言われました。
「私は15歳の頃、学問に志した(志学)。30歳で自立し(而立)、40歳で惑わなくなった(不惑)。50歳で天命を知り(知命)、60歳で素直に聞こえるようになり(耳順)、70歳で心の欲する所に従っても道を外すようなことは無くなった(従心)」
天に学べるようになった
という意味だろうか?
子曰わく、我を知ること莫きかな。子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子曰わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。(憲問第十四・仮名論語219頁)
孔子先生が「私を認めてくれる人がいない…」と漏らされました。
子貢が驚いて言いました。
孔子先生が「私を認めてくれる人がいない…」と漏らされました。
子貢が驚いて言いました。
「先生のような方が認められないことなどございましょうか?」
孔子先生が言われました。
「認められないとはいえ、私は天を怨んだり人をとがめたりはしない。私は身近なところから学び、だんだんと深い学問・真理に通じてきた。私のことを本当に認めてくれるのは、天であろうか?」
「認められないとはいえ、私は天を怨んだり人をとがめたりはしない。私は身近なところから学び、だんだんと深い学問・真理に通じてきた。私のことを本当に認めてくれるのは、天であろうか?」