微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

知命―五十にして天命を知り(論語、為政第二④)

孔子先生は
「五十にして天命を知り」と言われた。


子曰わく、吾十有五にして学に志し三十にして立ち四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。(為政第二・仮名論語12頁)
孔子先生が言われました。
「私は15歳の頃、学問に志した(志学)。30歳で自立し(而立)、40歳で惑わなくなった(不惑)。50歳で天命を知り(知命)、60歳で素直に聞こえるようになり(耳順)、70歳で心の欲する所に従っても道を外すようなことは無くなった(従心)」


孔子先生は、天命を知っていた。

だからこそ、次の言葉が出てきたのだろう。


子、匡に畏す。曰わく、文王既に没したれども、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何にせん。(子罕第九・仮名論語112頁)
孔子先生が匡の町で恐ろしい目に遭われた時、こう言われました。
「文王はすでに亡くなられたが、文王の道(仁の道)はこの私が受け継いでいる。天が文王の道を滅ぼそうとするなら、私は文王の道の実現に携わることはできないはずだ。天が文王の道を滅ぼそうとしない限り、匡の町の人たちは私のことをどうにもできない」