微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

何をしたいか?ではなく、何をすべきか?だろう

自分は何をしたいのか?
 
これでは自分本位のような気がする。
 
自分は何をしたいか?ではなく、
自分は何をすべきか?の方が
善いように思う。
 
 
子貢曰わく、如し博く民に施して、能く衆を済う有らば如何。仁と言うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と言うべきのみ。(雍也第六・仮名論語79頁)
弟子の子貢が尋ねました。
「もし広く民衆に施しをして民衆を救う者がいたとすれば、どうでしょうか?仁者というべきでしょうか?」
孔子先生が答えられました。
仁者どころではない。それはもう聖人だろう。堯舜(伝説上の聖天子)でさえそれが難しいがために常に心を痛めていたのだ。仁者とは、自分が立とうと思えば先に人を立て、自分が達しようと思えば先に人を達させるように、日々の身近なところで行う人のことを言う。これが仁を実践する手近な方法だろう」